A mini-wind turbine generating electricity could soon become the homeowner's latest fashion accessory - especially when people realize it could turn their meter backwaqrds. - The Guardian, May 3, 2005- 以下同じ- 電気を発生するミニ風力タービンが 近いうちに 家の持ち主の最新の流行アクセサリーに なるかもしれない、 特に、 電力メーターを巻き戻すことができると、 人々が 気が付いたときに。
With potential sales in the millions, manufacturers have developed a series of designs to appeal to the discerning who both want to cut their electricity bills and feel good about helping the planet. 販売台数の潜在性が何百万ということで、 メーカーは 一連の製品を 開発してきており、 (それは) 電気請求額を少なくすることと 地球を助けているとの満足感の 両方を求めている意識の高い人々に アピールしようとしての (ものである)。
*英語の勉強(4)「discern」は難しい単語です.辞書には以下のように説明されています: see or understand clearly through sense or mental powers 類義の言葉として:distinguish, recognize つまり、感覚や頭でぱっと物事を把握する働きを表すときに使われるようです。
"If the Queen can do it, so can we," said David White, the secretary to the Stour Vale Mills hydrogroup. The 12 mill owners sitting around the kitchen table nodded in agreement. -The Guardian, Aug. 1, 2005- 以下同じ- ”女王陛下ができるのなら、俺たちもできるさ”、ということで、ドーセット州(Dorset)の水車小屋のオーナーが12人集まって、発電事業を始めようという事だ。
彼らに先立っての、女王陛下の計画は: The Queen's proposal on the Tames will cost 1 million pounds and produce 200kW, enough to light and heat the vast complex of buildings of her Windsor home. テムズ河の流れを利用してウインザー宮殿の全光熱をまかなおうというものである。
Small-scale hydroprojects at mill sites is the next big push for renewable energy after wind power, and much less controversial. 水車小屋を利用しての小規模な水力発電は リニューアブル・エネルギーとして 風力発電の次の 大きな前進 であり、 (風力発電よりも)あつれきが少ない。
アメリカ大陸に400年前に進出してきた英国の民が、何万年も前から住んでいる先住民を追い払い、ついには特別居留地に押し込めてしまったわけだ。デモクラシーもフリーダムもヒューマン・ライツも自分達だけのためであり、他の民族のものではないわけだ。 The U.S. policy of creating reservations for Native Americans was established during the Prsidential administration of Ulysses S. Grant in the late 1860s in response to the perceived "Indian problem" of growing conflicts between U.S. settlers and Native American tribes in the West. *「perceived」眼に見えての、見て取れる -Wikipedia, the free encyclopedia- 以下同じ引用
時には、シッティング・ブル(Sitting Bull)率いる部族連合が、リトル・ビッグ・ホーン(Little Big Horn)で、カスター将軍(George A. Custer)率いる第7騎兵隊(7th Cavalry)を、全滅させるような勝利(1876)もあったが、全体には白人に押されっぱなしで、結局リザベーションに押し込まれてしまった。
この囲い込み(enclosure)には長い歴史があり、イングランドにおいてはすでに12世紀から始まったといわれている。何を囲い込むかといえば、一つは村の共有地であり、一つは沼沢地のように誰も住まない土地を個人の物とすることであった。特に15世紀から16世紀に羊の牧畜が盛んになると、この囲い込みは加速された。 From as early as the 12 th century, some open fields in Britain were being enclosed into individually owned fields. In Great Britain, the process sped up during the 15th and 16th centuries as sheep farming grew more profitable. By the end of 19th century the process of enclosure was largely complete.
10年以上前の夏、いつも使うサンフランシスコ空港からではなく、シリコンバレーの南域にあるサンノゼ空港(San Jose スペイン語読みでサン・ホセ)からアメリカン航空で帰国をはかったことがある。搭乗機が猛然と滑走を始めて数秒後、突如急激なブレーキがかかり、滑走路上で停止し、ついで、ターミナルに引き返した。機内アナウンスによれば、エンジンの一つの出力が規定に達しないので離陸を取りやめたということであった。結局その日は飛ばず、帰国は翌日となってしまった。この空港は滑走路が比較的短く、夏場には乗客満席では飛び上がれない。日本までの燃料を一杯に積んでいるので、夏の暑い空気では重すぎると浮揚力がつかないためだろう。
離陸には、滑走路半ばに「point of no return」があり、取りやめはこの地点の前で決断しなければならない。この地点を過ぎてしまうと、後は何が何でも一度空中に浮かび上がるしかない。この引き返し不能地点は、第1義的には、航路の途中の地点をいう。この地点を過ぎれば出発地に引き返すことは不可能で、後は目的地にしゃにむに飛ぶしかない。
地球温暖化がこの「point of no return」を過ぎてしまったのではないかという、恐ろしい記事を先週読んだ。 題して、 Global Warming past "point of no return" A record loss of sea ice in the Arctic this summer has convinced scientists that the northern hemisphere may have crossed a critical threshhold beyond which the climate may never recover. 今年の夏の北極圏の海氷の記録的な消滅は そこを超えると気候が二度と元に戻らないという 決定的な境界を 北半球はすでに越えてしまったのではないか ということを 科学者達に 確信させることとなった。 Arctic specialists at the US National Snow and Ice Data Centre at Colorado University believe that a more dramatic melt began about four years ago. 劇的な溶解はおよそ4年前に始まった。 "The feeling is we are reaching a tipping point or threshhold beyond which sea ice will not recover." *この文章での「tip」は頂点という意味で使われている。
氷が少なくなると太陽熱の吸収が増え、それがますます残りの氷の溶解を加速する。 英国Cambridge University の北極圏の氷の専門家Peter Wadhams教授の話によると、これまでのシミュレーションによる、夏季に北極圏の氷が全部溶ける時代は2070年という見積もりはあまりにも楽観的(over-optimistic)ということだ。
ドイツの敗色がすでに濃厚であった1944年-45年冬、フランス・ベルギーの西部戦線にあるアルデンヌの森(Ardenne)に突如ドイツ機甲師団がなだれ込んできた。ドイツ最後の大反攻として、武装SS(Waffen-SS)のパンツアー師団(Pantzer Divisions)の戦車群が荒れ狂った.*「Pantzer」とはドイツ語であり「armed」の意味。日本語では機甲(部隊)と訳されている. この戦いはヘンリー・フォンダ(Henry Fonda)、チャールス・ブロンソン(Charles Bronson)主演で「Battle of the Bulge」と題された映画となり、日本でも60年代後半に公開されたので私と同世代の人で記憶のある人もいるだろう。バルジは地名ではなく、戦線の突出部、膨らんだところという意味のバルジである。
バルジの戦いの半年前、19944年6月、マリアナ諸島(Mariana Islands)-サイパン(Saipan)、グアム(Guam)、テニアン(Tinian)-の戦いにおいて、帝国海軍連合艦隊と米海軍が、空母を核とする機動部隊同士の最後の海戦を行った。日本で言うマリアナ沖海戦である(アメリカ側はthe Battle of the Philippin Seaという)。 *10ヵ月後、広島、長崎の原爆は、このテニアン島から飛び立ったB-29から落とされた。
この海戦に日本は、形の上では、9隻の航空母艦を擁してのぞんだのだが、結果は無残なものとなった。すでに内地に大艦隊を動かせる石油は無く、やむなく石油産地(兼精製所)のボルネオ(Borneo)に近い小さな諸島に隠れて出撃の機会を待っていたのだが、艦隊を走り回らせて訓練する余裕も無く、空母の搭乗員も一度も空母から飛び立つことも無く海戦にのぞんだ。飛行時間わずかに200時間、300時間、空母の発着艦もようやっとという若い搭乗員の寄せ集めだから、端から勝てるわけもなかったのだ。あまりに簡単に日本機を撃墜できたものだから、アメリカ側はこの戦いをマリアナ沖の七面鳥撃ち(the Great Turkey Shoot)と称したぐらいである。手も無く海に叩き込まれた搭乗員の無念さを思うと今でも心が痛む。
During the day of 19 June 1944, 429 Japanese planes were shot down. The Americans lost 29. This battle was commonly referred to among the US Navy men as the "Great Marianas Turkey Shoot". Many historian agree that this event marked the end of Japanese naval air power.
1994年か95年だったと思うが、ロスアンジェルス(LA)北方にあるシミバレー(Simivalley)にオフィスを持つハイテク関連のベンチャー会社を訪問したとき、ヒューズエアクラフト(Hughes Aircraft)でヘリコプター用の暗視ゴーグルの設計をしていたという技術者と会ったことがある。ヒコーキ少年がそのまま大人になったような私としては、ことヒコーキに関する話はどんなことであれ大歓迎なので、仕事で出向いた開発製品の話よりも、彼とのヘリコプター(helicopter)の話の方が記憶に残っている。もっとも、彼の専門のレーダー(radar)とか赤外線(infrared)の話は難しくてほとんど理解できなかったのだが。 Their pilots are guided by an infrared optical system that shows images clearly even at night.
ヒューズエアクラフトのベストセラーは、米陸軍御用達の攻撃ヘリコプター「アパッチ Apache」で、ベトナム戦争ではお馴染みの機体である。この会社は、ヒコーキ大好きのハワードヒューズ(Howard Hughes)という相当に奇矯な大富豪が戦前に作った会社で、アパッチを除けばほとんど失敗作ばかりというおかしな会社であった。それでも、戦争が始まった時には従業員4人の会社が、他の航空機会社の下請け生産で大きくなり、戦争終結時にはその数8万人になっていたそうだから、まさに戦争様様であったわけだ。今、調べて見ると、この会社は1985年には自動車のGMに買収されてしまっているから、暗視ゴーグルの彼はその前までヒューズで働いていたのかも知れない。 Hughes Aircraft was acquired by General Motors in 1985. GM sold off divisions of the company one by one during the 1980s and '90s, and today only Hughes Network Systems still operates under the Hughes name. GMは事業部門ごとにバラ売りして、哀れにもこの飛行機会社は消えてしまった。
シミバレーに行くには、LA北方のバーバンク(Burbank)空港を利用する。ここはヒューズとは違って筋金入りの飛行機会社ロッキード(Lockheed Aircraft)の生誕地でもある。日本にも関係の深い会社で、山本元帥の乗った海軍一式陸攻を撃墜したのも、同社の双胴の戦闘機P-38Lightningであった。さらに余談を続ければ、「星の王子様」サンテクジュペリ(Antoine de Saint-Exupery)が南フランスでドイツの戦闘機に撃墜されたときに乗っていたのがこのP-38の偵察機型である。