生活している周りの環境がどれほど心の在り様に影響するものなのか、本を読んだこともないし研究したわけでもないので、なんとも断言できないが、極めて強い関連性があると私には思える。
今年は、先の戦争が終ってから64年を数えることになり、その間、われわれは世界に誇れる社会を築いて来たけれど、同時に、心とか精神とか感性といった面で、多くのものを失ってしまったと私は感じる。経済は発展し、なるほど物質的に、あの戦後の焼け野が原のころと較べると比較もできないぐらい豊かになったが、多くの人が何か忘れ物をしたような、一種の虚しさ、満ち足りなさを感じているのではないだろうか。
私は、人間の資質として、他者(人間だけでなく自然と生物全て)への心の優しさを、もっとも重要なものと置いているが、その優しさが、経済発展に反比例して、われわれの心の中でやせ細って来ているのではないかと憂う。もしそうなら、なぜこのようなことになったのか、なぜ一人一人の心が荒れて来ているのかを、あれやこれやの面から、今の私の力量の範囲で考えたい。物質的豊かさをもたらしてきた現行の経済システムが一つの大きな暗礁に乗り上げている今だからこそ、もう一度さかのぼって考えるのも意義あることであろう。
(1)海が消えた
私が生まれたところは、神戸市の東にある灘と呼ばれてきたところである(もう随分前に行政区としては神戸市に組み入れられた)。北を望むと六甲山があり、南を振り返るとすぐそこには海があった。昭和20年の空襲でも焼け残った親戚の家からは、水着のまま歩いて浜にいける近さであった。
その海が、高度成長のはしりのころ、ほとんど真っ先駆けてというぐらい早い時期に、埋め立てられて無粋な工場地帯と化してしまった。白い砂浜と打ち寄せる穏やかな、そしてきれいな波と、そこに泳ぐ小魚やチョロチョロ走る蟹が消えてしまった。近代工業化のあおりを、早くも子供のころに体験することになったわけだ。この埋め立て第1号を先駆として、その後東へも西へも、そして沖合い遥にまで埋め立ては続き、今や白い砂の海岸はこの辺りのどこにもない。
海は、地球上の生命の誕生地と言われているように、母なる「海」であり、人間の心のふるさとのはずだが、その大事な海を埋め立てで侵害し、はたまた、汚水のはけ口とし、ごみの廃棄場所にまでしてきた。
毎日、無機質な工場の建物と煙突を眺め暮らすのと、遠く南の国やアメリカ大陸に連なる海を眺めて暮らすのと、心の豊かさにはどちらが良いか。聞くまでもなく答えは明らかである。われわれは、仕事の場の拡張と物質的豊かさを求めて、母なる海さえも冒涜してきた。引き換えに失った心の豊かさは、もう取り返しのつかないところまできてしまったのではないだろうか。
私が子供の時に接した海と砂浜は、その前何千年と続いてきた風景のままであったはずだ。江戸時代にはこの浜から(実際はもう少し東の西宮の浜から)大きな樽に入れられた灘の酒が千石船で遥かな江戸まで運ばれたのだ、と歴史を思い浮かべることができる姿を残していた。(子供の時にそこまでの理解はなかったが)。
海とそこに生きる魚など生物への優しさを失い、そこは単に人間様の「便宜」のために存在すると見なして、埋め立てたり汚したり魚を乱獲したりすると、その遺産は次の世代に何をもたらすだろうか。感動を呼ぶ海を眺めることなく、灰色の工場群を眺めるだけで育てば、他者への心の優しさも、小さな生命に触れる喜びも得られない環境だけを与えることになったのではないか。コンクリートと鋼鉄で作られた人工物だけに取り囲まれて育っていけば、命の尊さなど感じることなく大きくなっていくのではないか。
なるほど、経済は高度に成長した。しかし、海を冒涜する心の猛々しさは、次の世代へ心の荒み(すさみ)を引き継いで行くことになったのではないか。自然だけでなく、何事にも感動しない、無表情な若者を生むことになったのではないか。世界第二の経済大国といわれる存在になった代わりに、われわれはあまりにも多くの無形の財産、豊かな心という財産を失ってしまったのではないだろうか。
(09.03.05.篠原泰正)