現在、われわれは3方面で「チェンジ」の嵐に襲われている。一つは言うまでもなく、地球上の気候のチェンジ(natural climate change)である。もう一つは、その影響を受けての海洋チェンジ(ocean change)である。そして、人間社会においては、経済の様相のチェンジ(economic conditions change)である。当面、目の前にあるのは、経済チェンジの暴風雨であるが、自然の嵐の方がもっと強く広く襲ってくることは間違いない。
これだけでもまさにパーフェクト・ストーム(perfect storm)であるが、その土台のところで、もしかしたらもっと恐ろしい破壊が進んでいる。人々の心が荒れているという。
戦後の65年弱を三つの時期に分けるなら、前期は敗戦の焼け野原から復興した1965年までであり、中期はその後20年続く1985年までの高度経済成長期であり、後半は今に続くハチャメチャの時代である。
私は1965年の大学卒であるから、前線でもっとも活躍した時代は、この高度成長の波に乗って、お気楽にホイホイとサラリーマン人生を送ってきたことになる。1990年にバブルがはじけたときも、なんだか変だなとは思いつつ、自分の「仕事」なるものにかまけて、その後10年弱、深く考えることもなく太平洋を行ったり来たりして、「忙しく」日々を過ごしてきた。
1972年に、ローマクラブから「成長への限界 Limits to Growth」というレポートが出たことは承知していたが、その報告を読むでもなく、「成長」の波に乗っかって過ごしてきた(遅ればせながら今読み始めた-イッツ・ツー・レイトではあるが)。1988年に、NASAのジェームズ・ハンセン博士(James Hansen)が米国議会の公聴会で、地球温暖化(Global Warming)の危険を世界で始めて証言したことも知らずに過ごしてきた。
1985年以降、米国から強制された「構造改革イニシャティブ」には反発していたが、深く考えるまでには至らなかった。バブルが崩壊したとき、なんで無軌道な金融機関を救済せにゃならんのだ、と思いつつ、目の前のビジネスにかかりきりであった。アメリカ社会が変わって来ているなということは、かの地に出張するたびに肌で感じてはいたが、これまたその変化の原因を考えることもなく、せいぜい飲み屋での話題レベルにとどまっていた。また、1973年のオイル・ショックを経験したのに、深く考えることもなく、世界の石油はいつまでもある
という感じで過ごしてきた。
つまり、21世紀に入るまでは、日々「お仕事」に忙しく、社会全体のことを深く考えることなく、地球と社会の破壊の(ささやかではあるが)一翼を担ってきたことになる。有罪か無罪かと問われれば、故意ではなく過失ではあるが、明らかに有罪であろう。
そして、今、地球の破壊と人間社会の崩れを目の前にすると、戦後世界は一体なんだったのだろうと考え込まざるを得ない。特に、1985年以降のこの四半世紀の崩れはなんてことだと、自分への怒りを込めて考えこまざるを得ない。
ローマクラブが警鐘を鳴らしたとき、それから16年後にハンセン博士が警戒警報を鳴らしたとき、われわれがその意味を理解して、もう少し節度を持った行動をとっていれば、今目の前の、そしてこれから毎年ますますその猛威が強くなる気象異変を抑えることができたはずである。大気の中のCO2の増加とそれによる温度の上昇がこの四半世紀で急激になっていることから見ても、85年の時点でワッセワッセの経済活動と生活様式を抑制していれば、今日の事態を招かずにこれたはずである。
老いの繰言めいたことを書いていても仕方がないかも知れないが、なすべきこと(対策)を考えるには、これまでのドジを並べ、何ゆえにそれを行ってきたのかを分析することが必須であるから、その作業は続けるしかない。
俺達は子供(息子・娘)の世代に何を渡すことになるのか。とんでもない負の遺産を残すことになるのはもう避けられないが、少しでもマイナスを減らす努力を続けるしかない。そのマイナスの遺産のひとつが、われわれの心の荒廃であることは確かであり、明日から、まずそのあたりから考察してみることにする。
(09.03.04.篠原泰正)