日本式は世界のモデルになりうるか
はじめから宣言しておくが、今から書くことは、絶対に世界のモデルにならない日本式の話である。
日本社会は、相変わらず、思いつきによる施策および海外(ほとんど西洋世界)の考え方と方式とシステムの丸呑み施策に溢れている。これは、現状の冷静な分析から次なる策を考える姿勢のちょうど反対側にあるやり方である。
例えば、近々始まるという「裁判員」制度がある。前にも触れた記憶があるが、私はいまだに、この制度がどのような理由で天から降ってきたのかいまだに知らない。新聞は読んでいて、関心もあるから、いつ、なぜ、この制度が導入されたのか、誰か解説してくれていないかと報道を追っかけているが、答えがない。報道されているのは実施上予想される、つまりプロセス上の問題などだけで、その出発点は、既に天地開闢以来日本にこの制度が存在したかの如くの扱いとなっている。不思議の世界である。
築地市場の移転問題も一つの例である。なぜ築地市場を移転する必要があるのかが表に出てこないまま、いつの間にか豊洲の埋立地に移転がきまり、その土地が有害物質で汚染されていることが判明すると、今度はその汚染をどうするかの、プロセス上の問題と対策だけがマスメディアで論じられている。汚染物質が地下から自然に湧いてきたわけがないので、これは先住者が暗闇に紛れてこっそりと自分家じぶんち)の庭に埋めていたに違いない。有害物質をこっそり生めてもOKという法律(都条例)があるのなら話は別だが、ここはやはり先住者の責任を追及すべきところだろうと私は思う。しかし、誰もそのようなことは気にしていないようで、あたかも大昔からこの土地には有害物質が埋まっていたが如き取り扱いである。
これも何度も書いているから、またかと嫌われる怖れがあるが、戦後日本の昇り竜を支えた経営方式を、アメリカさんからイチャモン付けられたとたんに、コロリと宗旨替えして、やれ構造改革だの、株価重視だの、株主のための会社だの、リストラによる柔軟経営だのを採用してしまう。幸いこのアメリカ式の化けの皮が、今回の金融危機と経済大不況ではがれてしまったから良かったものの、あと5年も続いていたら、モノづくりジャパンは内部から崩壊していたことだろう。この20年で相当の傷は受けたが、未だ致命傷に至らなくて良かった。戦後のやり方の良かった(強かった)ところ、悪かった(弱かった)ところを分析して次なるステージを策することをせずに、アメリカ式を「丸呑み」してしまう行動は、一体どこから出てくるのだろう。私にはまことに不可思議なことである。
もともと島国の人間で、海の向こうから来る文明と文化(舶来)に強い憧れを抱く-幕末までは主に中国に、以降は西洋世界に-民族ではあるが、あまりもの西洋べったりで恥ずかしくないのかね。
視点は少し変るが、現状を見ないで、経営方針の下に突っ走って転ぶ姿も見られる。例えば、世界でナンバーワンのメーカーになるという方針の下に、需要の実態と世界が直面している状況を見ないで拡大生産に向かうと、今回のような「突然」の危機・不況で大きな傷を受けることになる。現状分析という基本が身についていないから、方針の下の爆走にブレーキをかけられなかったのだろう。
話は古いが、「知財立国戦略」なんてのも思いつき施策の最たるもので、知的財産という面で、世界における日本の位置と国内で実施ているシステム等のの現状を分析し、問題点を明確にし、「ゆえにこのような戦略を策定する」と出してくれれば、こちらもその分析に基づいて、”一言あり”、などと論評もできるのだが、ある日、トイレの中かどこかで「ヒラメイタ」「戦略」を出されても、”なんにも言えネエ”。思いつきは戦略にはならないという、初歩の初歩の教養と思考力もお持ちでないところから出てきたようだ。
日本においては、現状分析の必要性が理解できず、そのやり方もわからない人々は、どうやら国家政府や地方政府で経営と運営に携わっている人たちと大手企業の人たちに多く分布しているようである。幸いにして、中小企業の親方連には少ないようだ。そりゃそうだろう、自分の実力も含めて市場の現状を無視して、思いつきで経営していたらすぐにつぶれてしまうだろう。中小企業のトップにそんなアホが少ないから日本はまだ持ちこたえているのだろう。
ここでの結論として、中小企業の(特に核の製造業の)親方達のやり方なら、日本式として世界のモデルになりうるのではないだろうか、ということで締めたい。
(09.01.29.篠原泰正)