研究所に入所してみると、廊下は電気が消されて暗く、エレベーターは止まっていた。そして、我々新入社員への最初の伝達は、いくら残業しても残業手当は出ないということだった。ただし、研究者たるもの、24時間が仕事だとも通達された。その後、繊維会社、化学会社は繊維輸出協定、石油ショックと、受難の時代を経験する。私はT社に在社した18年間というもの、夜遅くまで、土曜も日曜もなく働きずくめに働いて、ついに一銭の残業手当も手にしたことはない。
私たちが入社したそのあとの長い数年間は新規採用がすべて中止された。そのあとずっと、何回かの石油ショックとそれに伴う人員削減が続いた。私たちの世代で若いうちにしっかりした、仕事を任せることのできる部下を持てた人はきわめて運がよかった。化学は典型的な実験科学のエリアである。部下がなければ自分が自分で手を動かして実験しなければ成果は何一つ出てこない。実験をしっかりした部下に任せて自分は文献の調査をして最新の情報を仕入れ、構想を練って新しい展開を考えたりテーマを見つけたりする時間を持つなどという事は私は40歳になってT社を退職するまでついに一度も経験できなかった。毎日が仕事に追い回された、その日暮らしの生活だった。
少し余裕をもって調査をして、分析をして先を読んで自分で新しいテーマを見つけるなどという時間を持てたのは48歳になって、日本研究所に移籍してからだ。もし日本研究所に移るチャンスがなかったら、T社にいてもシスコムジャパンにいても私はおそらくはこうした充実した時間を持つことはできなかっただろう。48歳にもなってそんな時間を持てたってたかが知れている。レベルアップをしてこなかった自分の能力、才能などたかが知れている。だがそれでも、しばらくの間自分の全力を、自分の思うものに思い通りに傾注する時間を持てたという満足感が残る。仕事が成功したかどうか以前の問題である。私の場合、こんな時間を持てただけでも同世代の化学屋さんと比べたら大変幸せだったと思う(クリヤ・ビュー)