私はこれまで4回会社を替わり、覚悟は遠の昔にしているとはいうものの明日レイオフされるかもしれない身である。断っておくが、覚悟しているとはいっても、それはレイオフされても困らないという意味ではもちろんない。大いに困る。だが、私の場合は自分で好んで会社を替わったのだから仕方がない。ただしこれも、会社を替わったことを後悔していないという訳でない。人前では決して後悔しているなどとは言わないが、内心では替わらなければ良かったと思うときがある。替わって良かったなと思うときももちろんある。
だが私のように自分で会社を替えた者は年賀状の中にはいない。頑張ってずっと一つの会社に勤めてきた。こうした私の年代の、特に化学系の人間にとって、これまでの会社生活はどんなものだっただろう。振り返ってみてこんなはずではなかったのに、との思いが強いのではなかろうか。
私は1965年に大学を卒業してすぐにT社に入社し、基盤技術研究所に配属されて企業における技術者としてのスタートをした。ご存知の方も多いと思うが、1950年後半から1960年の前半にかけてはT社の黄金時代だった。ナイロン、テトロンと大型合繊の成功で、連年、日本で最も儲かる会社としてその黄金時代を謳歌していた。だが1965年、私がT社に入社したときにはそれまでの合繊景気から一変して造りすぎによる合繊不況に突入していた。高卒の人たちの入社が数ヶ月遅らされたほどの不況にみまわれた。(クリヤ・ビユー)