本年から、世界は新しいステージに入った。その徴候の多くはすでに2008年に現れて来ている。その流れを一言で言い表すと何になるかをこの正月思いめぐらし、「Small is better than Big.」というキャッチフレーズに至った。これからしばらくこのキャッチフレーズに基づいて、正月の酒の勢いを推進力にして、これからの傾向を眺めて行こうと思う。
第1回目は、自動車産業:パワー・オブ・ラグジュアリー?
箱根駅伝をテレビで見ていたら、スポンサーの自動車会社のコマーシャルに目を廻しそうになった。屠蘇酒が回っていたためかも知れぬが、「Power of Luxuary!」(あるいは「Luxuary Power!」だったか?)の下に超高級車が宣伝されているのを見て(聞いて)、時代が2、3年前に逆戻りしたのかと思った。
「デカイことは良いことだ、豪華なことは良いことだ」、とワッセワッセやってきて、派手にずっこけたのが米国の3兄弟(ビッグスリー)であるが、日本にも兄弟がいたことを知らされた。ビッグスリーではなくビッグフォーだったわけだ。兄貴達がずっこけた原因を知らずに、4男がまだ”豪勢なことは良いことだ”と唱えている。このKYのレベルは相当なもので、これでは何兆円の天国(利益)から赤字の地獄へ真逆さまも必然であろう。それだけでなく、このうたい文句は、不況が深刻化し、多くの国民が職の安全に不安を抱いている今に対して、神経を逆なでする効果をもたらすと言えるだろう。少なくとも私は、極めて不愉快な思いを持った。
石油をジャカジャカ燃やすことで地球温暖化を招き、しかも、消費のし過ぎで地球上の石油在庫が怪しくなっていることは、余程ノーテンキな人でない限り、誰もがヤバイと感じているところであろう。その現実と認識に対して、「パワーオブラグジュアリー」はないだろう。世界で一番とか言われて、頭も感性も舞い上がってしまったのだろうか。
自動車が明日まったく売れなくなることはないにしても、これまでのようにドンドン売れる時代は終ったことは、フツーの人なら誰でも理解できるところだ。一言で言えば、自動車を買う人は毎年減っていくということだ。その中で、明日をどう切り開くかの答えもある意味では明らかであろう。一つは他の産業分野への比率を増やして行くことであり、一つは、より小さくより安い小型車に移って行くことだ。
そうなると、年間数百万台作ることで大きな利益を上げてきた会社よりも、数十万台でもそこそこやっていける会社の方が生き残る確立は高いことになる。大きなことが裏目に出る時代が来ていることになる。今日は昨日の続き、とは行かなくなっているステージに入ったのだから、昨日のパワー(資金力、生産能力、販売網)はラグジュアリーをもたらすものではなく、足枷(英語でなんと言うのだ?)になりかねない。
自動車だけでなく、企業規模が並外れて大きいと、メタボというマイナス要因が働くようになりつつある。デトロイトの凋落は、経営のまずさだけでなく、ましてや金融危機が原因でもなく、時代が変ったことにその原因がある。これを他山の石として、大きな会社は自社のメタボ(metabolic)度合を測る必要があるだろう。
メタボで身動きもノソノソした患者にいくら輸血(支援金)を与えても、それだけでは元のように元気になることはない。アメリカでも欧州でも、政府というヤブ医者がそのような処方箋を自動車産業という患者に与えているようだが、時代を昔に戻すことはできない。小柄で身動きのすばしっこい奴の方が、生き延びる可能性が高い時代が来ている。
(09.01.05.篠原泰正)