渭城朝雨浥軽塵
客舎青青柳色新
勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人
誰もが高校の漢文の授業で一度はお目にかかっているはずの、有名な漢詩で、作者は盛唐の詩人兼画家の王維である。
この詩を日本の学校では以下のように読むように教えられる:
渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう) 軽塵(けいじん)を浥し(うるおし)
客舎(きゃくしゃ) 青青(せいせい) 柳色(りゅうしょく)新たなり
君に勧む(すすむ) 更に尽くせ 一杯の酒
西のかた陽関を出ずれば 故人無からん。 *故人は中国語では友人の意味
この読み方は「読み下し、あるいは訓読」といわれており、漢文学者によれば、この読み方によって日本で漢詩が親しまれるようになったと自慢されている。要は、日本語の順序に並び替えたわけだから、誰にもスンナリと受け入れられる。つまり日本語でこの詩を鑑賞しているわけで、何十篇、何百編読もうと、中国語の学習には結びつかないし、中国でのオリジナルの感性を理解する道は開けない。
順序が異なる箇所は、この詩では「うるおす軽塵を」、「勧める君に」、「出る陽関を」、「無し故人」の4箇所となる.中国語は英語と同じようにVO、すなわち動詞(V)の次にオブジェクト(O)が置かれていることが分かる。
日本では、大昔から、海外の文明と文化を輸入するに当たって、産地そのままを持ち込むのではなく、日本風に味付けをして取り入れてきた。これにより、素早くその良きところを導入することができたし、日本の文化を本質から破壊することもなかった。すばらしいやり方であると言えるが、一面において、これによって輸入先のことを理解したつもりになり、その理解に基づく色眼鏡で世界を眺めて満足する危険を常に伴ってきた。
日本における英語教育も、基本はこの「漢文読み下し」方式であり、未だにそれが続いている。いくら勉強しても英語で書いたり話したりできないままである。
(05.9.12. 篠原泰正)