私は外資系の企業に長く勤めていて、こうやってアメリカに来て仕事をしている以上は、私が英語をうまくしゃべれないのは私の怠慢と思われても仕方がないと思っている。だから私はつい、アメリカ人との会話の中で自分の英語のつたなさを詫びることがある。一昔も前だったら、こうしたときに相手のアメリカ人はこうしたら良いとかああすべきだとかの身勝手なアドバイスをするのが普通だったように思う。つまり、世界の覇者たる自分達の使っている英語が世界語であり、自分達と話をする人間は当然英語を話すべきだという意識が彼らにはあったと思う。ほとんどのアメリカ人は外国語をマスターする必要は自分達にはない、と考えてきた。
この頃は私が若くはなくなって、哀れに思って下さってか、私が英語のつたなさを詫びると、必ずといってよいほど「あなたの英語は素晴らしい」と言ってくれ、その上「私は日本語が話せない、私と英語で話してくれてありがとう」と言って慰めてくれる。どうやら今、そこそこの学歴のある人達はみんな、自分達も外国語のひとつやふたつ理解し、会話ができなくてはいけない、という意識をもっている。
この国に来てまだ少ない私の3人の知人のケースだが、1人は日本人の女性と結婚して子供が3人いる。もう1人は中国人の女性と結婚して子供はまだ1人だ。3人目の友人は、日本に留学していたことがある中国系のベトナム人で、台湾の女性と結婚し、子供が3人いる。
最初の友人のケースだが、子供たち3人とも英語、日本語、フランス語がペラペラである。日本語を子供にマスターさせるため、家庭内では日本語以外は子供に使わせないできた。友人もそのおかげで、日本語が片言以上にできる。英語は子供が成長して外に出るようになるとマスターできるに決まっている。だから、家庭内では日本語、学校はフランス語の学校へ行かせた。
(クリヤービユー)