日本人がアメリカ人にカードゲームのブリッジを教えてもらう事になった。さて、4人のうち2人はアメリカ人であり、あとの2人は英語がペラペラの日本人である。アメリカ人は日本語が全く分からない。どんな風にゲームが進むのだろう。この場合の日本人だが、とっても良い日本人、普通の日本人、そして悪い日本人に分けて様子を見る。
とっても良い日本人の場合だが、彼らはおそらくアメリカ人に気を使ってできるだけ日本語を使わないようにして手ほどきを受けつつゲームを続けるだろう。でもブリッジについての感想、例えば自分達が習熟しているマージャンと比較して面白くない点とか、折角教えてくれるアメリカ人に聞かれたくないような感想など、少しは日本人同士で日本語で会話をしてしまうだろう。普通の日本人だったら、いくら英語が達者だとしてもブリッジの大体をマスターできるまで、日本語でお互いが理解した内容を確認しあい、話し合いながら手ほどきを受けるだろう。悪い日本人は、どうやったらアメリカ人チームに勝てるか、その方法を相談しながら教えてもらう。
そうやって、手ほどきの段階が終わり、段々ゲームに入っていく。最初のうちは勝負にならない。ルールが大体分かったからといって手の内の読みあい、駆け引きなど、そう簡単にマスターできるほど単純なゲームではない。良い日本人はできるだけ日本語を使わないようにしてゲームを続ける。でもときには日本人同士でお互いの失敗をからかったり、日本人にしか通じない冗談を言ったりするだろう。普通の日本人だったら、無意識のうちに仲間の日本人とその局面局面でこういうときはどういう戦略をとるべきか、例え手の内の情報ではないにしても、意見を交換しあうものだ。そして、悪い日本人だったら相談しておいたように、自分達だけが分かる日本語で勝負に直接関係する情報を交換しあうだろう。
そのうちに少しずつ腕前があがってくる。そして、悪い日本人だったら間違いなく確実に勝負に勝てるようになってくる。普通の日本人でも、自分達ではあまり意識しなくてもゲームは結構自分達に有利に進む。
一緒にゲームをやっているアメリカ人はどんな風に感じるだろう。手ほどきの段階ではまあ何をやっても問題なかろう。ゲームになっても彼らが勝っている間はあまり問題ない。もし彼らにつきがなく、負けが込んできたら例え相手が良い日本人だとしても日本人同士がたまに一言二言日本語で会話を交わすのが癇にさわるというものだ。たとえ日本人同士が何もしていなくても、何かインチキ臭いと思いはじめるものだ。
それはともかく、もしここで、言葉ではどんな情報を取り交わしても良いというルールでブリッジゲームを進めたらどうなるか。相手のアメリカ人同士の会話は日本人には全部理解できる。日本人同士の会話はアメリカ人には全く理解できない。ゲームは圧倒的に日本人に有利に進むに決まっている。そんなルールでアメリカ人が日本人とブリッジをやるのに同意するはずがないし、 日本人にだってそんなルールで相手が一緒にゲームをしてくれるはずがないのはすぐわかる。
ゲームの場では私達日本人にもこの辺のことは良く分かる。そして、悪い日本人でなければ日本語をそんなには故意に悪用しない。では、カードゲームでなくビジネスの世界ではどうだろう。日本人とアメリカ人とで商談をする。商談のほとんどは英語で進む。アメリカ人には日本語が通じないので、しかたなく日本人は苦労して英語を使ってアメリカ人に合わせなければならない。不利だろうか。そんなことはない。途中少しくらい日本人同士が日本語で話をしたって、感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはない。日本人同士は日本語を使ってはいけない、などというルールはない。相手に手の内を悟られることなく敵前で相談できる。
もちろん心ある、そして少しは英語が話せる日本人だったらアメリカ人が同席する場で日本人だけで会話をするのを遠慮しようと心がける。それが礼儀というものだ。でも、経験のある人なら頷くと思うが、難しい話になると、つまり相手にあまり聞いてほしくない話になると、英語で進む会議の中で、要所で日本人同士が日本語で打ち合わせをするのは日常あまりにもよく見られる情景である。もちろんアメリカ人同士も途中、日本人にはついていけないような早口で英語で打ち合わせすることだってある。だから確かに見たところおあいこである。だが実際は違う。確かに英語のできる日本人は、英語教育に金がかかっている割には少ない。私みたいに外資系の企業に長い事勤め、米国でこうやって仕事をしているくせに英語がからきし駄目なほどである。だがそれでは日本語のできるアメリカ人はどれくらいいるか。(クリア.ビュー)