ウオール街の崩落は、この20年以上、世界を荒らしまくってきた「自由市場経済」原理のインチキ性を誰の眼にもはっきりと示してくれたので、私としてはまことに歓迎すべき事態である。その崩落が何をもたらすか、さまざまな局面をシリーズ風に取り上げていく。なお、このシリーズの序章は、既に「やさしい経済学」シリーズとして、壁の崩壊直前から取り上げてきたものが当てはまる。
さて、その一番目の様相として、「ついでの知財から本真面(ホンマジ)の知財」を題とする。ここで言おうとしていることは単純なことで、以前から言っている繰り返しでもあるが、良い製品を黙々とつくりそれを海外に輸出して稼いできた幸せな時代は終った、ということである。
同時に、壁に囲われた狭い、正常な世界から隔絶された地域で「銭コロガシ」に狂奔してきた経済、自由市場の旗の下に世界中で想像を絶するような巨額の銭をコロガシテの行いが「産業」の主流の座を降り、再び、地道なモノづくり産業が主流になる時代が来たことを示している。
その二つの様相を掛け合わせると、企業における知的財産の世界でも、これまでのように、「製品製造・販売」の「ついで」に特許もおさえておこうか、あるいは、競争相手に負けないようにともかく特許の「数」だけはできるだけ多くおさえておけ、という「どうでもいい」姿勢から、企業の生存をかけての、「ホンマジ」での特許および著作権の時代が来ていることが明らかとなる。
国内の市場は既にもうモノに溢れており、しかも所得は下がるばかりだから、国内だけに目をやっていては生きて行けない。これは誰でも知っている。かといって、輸出で稼ぐことも日々難しくなって来ている。(このことについては次回以降で取り上げる)。それではどうすればいいか。
世界を市場として(生存かつかつの20億人の民のことはとりあえず国連マターとしてここでは外すとすると、約40億人が潜在客の市場となる)、現地の人々と協働して(コラボレーション)そこで生存に有用なあるいは必要なモノを生産する展開方法が残された道となる。
製品を輸出し現地で販売しても、土地の人の雇用はたいして増えない。販売と流通で雇える人の数は生産に従事する人の数から見れば圧倒的に少ない。なんとしても生産活動を実現しなければそこの地域経済は豊かにならない。現地の人を教育し、雇用し、ついで経営も任せて行くことでことはうまくまわって行くことになる。
そのためには、特許仕様書を、製品仕様書を、製造マニュアルを、製品取り扱い説明書を明快な「英文文書」にしておかねばならない。これは、現地で生産を実現するためにも、技術の権利を確保しておくためにも必須の事項であり、これらが不備な企業はその存続が危ぶまれていくことになるだろう。
企業において知的財産を扱う部門は、これからは、企業の命運を担う極重要部門となる。その重要性を理解できない企業は落ちていくし、その重い任に耐えない人材はどこかへ移るしかない。
(08・10.01.篠原泰正)