「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」。
川端康成さんの名作「雪国」の出だしである。
関東に住んでいて、冬季に群馬県側から新潟県側に鉄道で旅行をした経験がある人には、この叙述に出会っただけで、光景が眼に浮かぶはずだ。からっ風が吹く晴天の群馬県から長い三国トンネルを出た途端に、窓の外は一面の銀世界である。車内から「ホウッ」というため息、あるいは歓声が湧くだろう。 沖縄の人に、この光景を想像してくださいと言っても無理だろうけれど、関東と信越という狭い地域の文化を共有している人には、この文章の説明は要らない。読むだけで、自分も車中の一員のような気になるはずだ.
この文章が、英語に翻訳されると、どういうことになるのだろうか.
「The train came out of the long tunnel into the snow country.」
著名な日本文学者であるサイデンステッカー教授(Edward G. Seidensticker)の訳(Snow Country)である。日本語文章を理解することにかけては、並みの日本人よりも数段レベルが高いであろう教授も、英語に訳すとなると、さて、トンネルを出たのは誰にするか、迷ったことであろう。トンネルを出たのは川端さん、あるいはその分身である主人公に決まっている。何も問題ない、と我々は考えるだろう。しかし、英語で叙述するとなると、主人公が「自力」でトンネルを抜け出たわけではなく、当然汽車に乗っていたわけだから、実際にトンネルを出たのは汽車(列車)ということで、これを主語に仕立てるしかない。そこで、上に示した訳となる.
日本の情緒を理解することに不足は無いはずの教授の訳にしては、味も素っ気も無く、事実の正確な記述だけではないか、「先生、もう少しどうにかなりませんかね」という感じだ。この英語文章を私の3X3モジュール・コンポーネント分割で示すと以下のようになる:
The train came out
of the long tunnel
into the snow country.
列車がトンネルから出てきてスノーカウントリーに突っ込んでいった動きがよく分かる.
もしこの文章が小説ではなく、設計仕様書や特許仕様書といった文書の中のそれであったとしても、さらに具体的な説明を付け加えれば形になるだろう:
(1)列車は蒸気機関車か電気機関車が引っ張っていたのか、明確に規定して
(2)トンネルの長さはどれくらいか、列車の速度はどれくらいか;そこからどれくらいの時間、暗闇の中を走っていたかを示し
(3)トンネルに入る前の地域の風景はどうであったか;雪は降ってなく晴天であったことを記述する.
いずれにせよ、上掲の文章の前後に上記のポイントを付け加えれば、事実関係の記述は完全な物となるだろう。そうなると、小説と「仕様書」の境目は何だ、という疑問が出てくる。
サイデンステッカー博士は特許の仕様書(Patent Specifications)も書いていたのかしら。
(05.9.8. 篠原泰正)