北京奥林匹克(オリンピック)がいよいよ本日開幕する。北京の空気もだいぶキレイになったようでまずはめでたい。
国家の企画・開発という視点で中国を眺めると、近代において中国は三度失敗している。いや、3回目は今進行中だから、それを失敗と決め付けるのはいくらなんでも言い過ぎだろうから、2回の失敗と進行中の3回目と言おう。
19世紀半ば、阿片戦争に象徴されるように、帝国主義の権化のような大英帝国からむちゃくちゃな要求をあれもこれもと突きつけられたとき、文明国家の老舗である中国としては、本来ならば、ニャロメコノヤローと近代工業化社会に変身すべきであった。ところが、悲しいかな、漢の時代にその文明力が頂点に達していたと見るなら、既に1800年という気の遠くなるような年月が流れた19世紀半ばの時点では、中国は西欧に反発する活力も気力も知性も教養も経済力も失っていた。7世紀の唐の時代を頂点とみなしても既に千年以上の時間が経過しており、底力のある民族としてもいかになんでもそうそう元気が続くわけがなかった。
一方、大英帝国は文明国家らしくなったのは、阿片戦争時代でたかだか300年の歴史であり、元気に溢れていた。日本も、12世紀に武家が支配を握ってからまだ700年ほどで、幸い武門の人々の元気印は残っていたので、西洋世界に対抗して、工業化社会へ変身することができた。中国はあまりにも早く文明の一つの頂点を極めすぎたのだ。
近代工業化社会への2回目の変身のチャンスは第2次大戦の終了後に訪れた。この時実現したのはしかし、共産主義イデオロギーに染めあげられた国家であった。この国家体制は、はるかな昔から、夏、商(殷)、周、秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清と連綿とつながる「王朝」を受け継いだものであり、その古い器の中にモダンな共産主義というイデオロギーとシステムを盛り込んだもので、いわば「毛王朝」とでも称すべきものであった。この王朝は1968年を頂点とする文化大革命に象徴されているように、「知性・教養」への蔑視が致命的であった。近代国家は知性をその底においているからこそ可能であったのだから、その知性を毛嫌いしては「発展」はありえなかった。
そして、今回のオリンピックに象徴されるような、一大工業化社会への変身である。見た目の体制は昔のままで中身は変身するという手品のような業を使ってこの20年、特にこの10年、中国は生まれ変った如くに見える。古い文明国家がよみがえり、もう一度強大勢力になった例は歴史上ない。ローマの末裔のイタリアは強国を目指すなんて野暮な志はとっくの昔に捨ててキレイなネエチャンを追いかけまわす方にそのエネルギーを注いでいるし、大航海時代の覇者スペイン帝国もかつての栄光はせいぜいレアル・マドリーの活躍に生きているぐらいで満足している。大英帝国も北海油田が噴出した時は一瞬復活するかと見えたがそれは幻(まぼろし)であった。
グレート・チャイナの復活は、そうみれば人類の歴史上の奇跡のようなものであり、これに、かつてインダス・ガンジス文明を誇ったインドが加われば、近代工業化時代の歴史はその最終ステージにおいて大きく色が塗り替えられることになる。
そう、最終ステージである。中国三度目の挑戦は、道を誤ったと私は思う。西洋式工業化社会の道を選んだのは失敗であった。なぜならば、その工業化文明を可能にしてきた石炭・石油の在庫の底が見え初めているからである。あちこちでほころびが見えている西洋式を追随するのではなく、また銭、銭と目の色変えて狂奔するのではなく、近代化への遅れついでに、文明社会の老舗として、新たな中国式を目指してもらいたかった。そうしていれば、オリンピックなんぞをやらなくとも、ごく自然にグレート・チャイナの名は世界から尊敬の目で迎えられたであろうに。
(08.08.08.篠原泰正)