日本列島の虎は、戦後2度にわたり、つまり1966年から1984年の19年間と1986年から2002年18年間、絶滅が危惧されたが、2003年以降甲子園地帯を中心に順調に回復し、今や日本中どこへ行っても「六甲おろし」を絶叫する一大徒党を形成している。絶滅が危惧された当時は、虎党であることを表明しない「隠れタイガース」が増えて、私のように半世紀以上の正統派虎党の嘆きを招いたものだが、今や隠れタイガースどころか「にわかタイガース」まで増えて、元ジャイアンツの中畑氏ではないが「絶好調」を示している。
一方、最近気になるニューズを読んだ。インド・ネパールのタイガースがいなくなってしまっているという。大英帝国がインドを植民地にしていたときは、イギリス人の間で「虎刈り」(ヘアスタイルのことではなく本物の狩り)は勇壮なるスポーツとして人気であったようだ。確か、シャーロック・ホームズの強敵になるモーティマ博士も虎狩の名手だった、つまり射撃の名手、と設定されていたと記憶する。
世界野生動物基金(WWF: World Wildlife Fund)の発表によると、インドの虎、すなわちベンガル虎(Bengal tigers)はこの100年で95%減ってしまったとのことだ。ネパール(Nepal)に設けられている野生動物保護地区(Suklaphanta Wildlife Reserve)の虎は2005年に20から50頭いたのが、今年4月の調査では6-14頭しかいないようだ、とのことである。
虎よりも獰猛な人間様の手になる「開発」に追われて奥地へ奥地へと追いやられ、せっかく保護地区が設けられても、密猟者によって狩られてしまう。生息地は減るわ、この不法野生動物商取引(illegal wildlife trade)によって殺されるわで、今やあの広大なインド・ネパールでも全部数えて4千頭ということらしい。
地球は人間様のためにだけあるとして、「開発」、「経済成長」、「発展」、「文明化」、「ビジネス」などなどの旗印の下に昆虫から虎まで、メダカから鯨まで殺しまくってくると、その結果は人間の心の荒廃につながる。生物の命を大事にしない生き方は人間の命も大事にしないところへとつながっていく。物質的豊かさと文明的効率の追求は、他者に対する優しさを失うことに反比例しているのではないだろうか。
荒れた心の下で何事かを企画しても、それは弱者の切捨てにつながるだけのものになるのではなかろうか。
ベンガルタイガーがいなくなってしまえば、世界で「虎」が元気よく生息しているのは日本列島だけになってしまうだろう。もっとも、日本の虎は浮き沈みが激しいという性質を持っているから、その繁栄もいつまで続くかこれまた極めて覚束ないことではある。
(08.07.22.篠原泰正)