気象異変を起こしている地球温暖化を少しでも抑えるために、CO2の排出などを「劇的」に減らさなければならない事は、正常な頭を持っていれば簡単に理解できる話である。また、その話と表裏一体であるところの、石油の消費を「劇的」に減らしていかねばならないことも、この有限の地球資源の底が見え始めた今、深く考えなくともわかる話である。
これを「産業」という視点で眺めれば、今までのやり方を「劇的」に変えていかざるを得ないことにつながっていることも、容易に理解できるはずである。さらに言えば、地球温暖化防止策と石油の枯渇の対策は、産業にとって一大チャンスであることも、たいして頭を使わなくともわかる話である。
ところが、新聞を毎日読んでいる人なら誰でも知っているように、日本の産業界の指導ラインは、この二つの明らかな現状に目をつむり、対策への歩みをできるだけ遅くすることにひっしの努力を続けている。例えば、前の京都議定書設定においても、裏から、規制目標を低くすべく働きかけていたのは、わが国の産業界であった。この姿勢は今になっても変わっていない。
なぜ彼らは、これらの明らかな事実に目をつむり、取るべき明らかな対策もできる限り抑えようとするのか。その理由はもちろん明らかである。今、有力な産業界はすべて、地球温暖化をおし進めている石炭・石油・天然ガスという化石燃料の燃焼の上に繁栄してきたものだからである。事実を認め、対策を推進することは、自分たちの首を絞めると感じているからである。せっかく手に入れた繁栄を手放したくないからである。時代の風向きが変ったことは、馬鹿ではないから感じてはいるが、それを認めることが怖いからである。
化石燃料の燃焼の上に成り立っている産業は、それにしがみついている彼らには気の毒ながら、長い目で見れば、否、それほど長くなく10年のレンジで見れば、すべて「斜陽産業」である。気の毒だがそこには二度と陽は昇らない。この斜陽産業にしがみついていればどうなるか。石油の切れ目が縁の切れ目となって、斜陽から滅亡へと向かうだけである。
産業界の指導層は全員、これまで陽が照っていたこの化石燃料ベースの産業界の出身であることは当然のことである。衰退産業の長がデカイ顔をしてのし歩けるわけが無い。その結果、事実を見ず、対策を打たないがために、これからの産業の育成を怠ることになる。気象異変と石油が少なくなっていくという猛烈な嵐に、あれやこれや立ち向かえる策を日本は豊富に持っているのだが、それらはもちろんこれから伸びる産業分野だから、今は弱小勢力である。
弱小勢力であるがために、その必要性とこれからの可能性を説いても、今までの大物産業界からは無視される。へたすりゃ、でしゃばるなと頭を叩かれる。
心地よく温泉に浸っている大物に、雪崩が起きそうですよ、早く風呂から上がって着替えして裏山によじ登った方が良いですよ、と忠告しても、「アホヌカセ」とせせら笑われるのが落ちだろう。このようにして、せっかく有効な対策、新しい企画を持っていても、その多くは、あるいはほとんどは取り上げられないまま消えていく。
対策は雪崩が起きる前に打たないと効き目は薄れる。しかし、雪崩が本当に起きないと10人のうち9人までは行動を起こさない。日本の産業は新しい時代に向けて、世界の中でもっとも有利なポジションにあり、有効な技術等の資源をもっともたくさん持っているのだが、大旦那衆が温泉から上がろうとはしないので、世界の先頭を行くことはないのだろう。
次なる時代をにらんでの企画を担当している人たちには、イライラがつのる日々であろう。
(08.06.23.篠原泰正)