アメリカ社会が静かに崩れ落ちようとしている。その図体が大きいだけに崩れると01年9月のWTCビルの崩壊どころの騒ぎではなく、マグニチュード10ぐらいの規模で世界中に激震が走るだろう。そのことはさておき、ここでは反面教師としてのアメリカである。
この20数年の時間の中でアメリカが示してきた崩れ方は「痛ましい」という形容詞が当てはまるほどに無残である。その崩れは、これからの社会の設計を考えるとき、反面教師として価値あるモノでもある。ああいうことをしてはいけない、ああゆうやり方をしてはいけないという教材がアメリカ中に転がっている。
その一つに石油にのみ頼りきった社会インフラがある。ガソリンの値段が大きく上がっただけで社会の機能が麻痺しようとしている。この場でもう何度も書いて来ているように、自動車が無ければ会社にもいけずスーパーに買い物にもいけない仕組みとなっているがために、つまり代りの仕組みが何もないがために、ガソリンが上がっただけで、社会の動きが止まろうとしている。
人間の移動だけでなく、大陸内の物の輸送のほとんども、18輪と呼ばれる大型トレーラーに依存しているため、ディーゼル燃料の高騰はモロに運賃に跳ね返る。飛行機による輸送もジェット燃料の高騰によりとてつもなく高いものになって行く。
アメリカから入ってきた経営理論の中にリスク・マネジメントだなんだというものがあり、昔習ったような記憶もあるが、アメリカ社会は丸ごとでまったくリスク・マネジメントをしてこなかったことになる。地球上で有限の石油に社会全体が頼りきるという途方も無く大きなリスクに対して、まったく手をつけないできたわけだ。その無防備さには驚きを通り越して、他所の家の出来事ではあるがただあきれるばかりである。
この20年、大陸間鉄道を整備しなおすこともせず、郊外電車の線路を敷くこともせず、市電を復活させることもしてこなかった。ガソリンスタンドに行けば昨日も今日もそこにガソリンがあったので、人々はそれに慣れて思考も停まっていたのだろう。
前の戦争のとき、「無防備都市」という言葉があった。敵の空襲に対して何の対策も持たない都市がそう呼ばれた。アメリカ本土は歴史上一度も「空襲」を受けたことはないが、石油という社会の命の水の値段が2倍、3倍になるだけで社会の機能が麻痺してしまう無防備性を晒すことになってしまったわけだ。
徹底的なリスク・マネジメント不在がなぜ続いたのか、そこには数々の要因があるのだろうけれど、感覚的な印象としては信じられないほどのおばかとしかいえない。しかし、さて、人のことを笑っていられるだろうか。わがジャパンの姿を眺めれば、バカさ加減は程度の差こそあれ似たようなものではないか。地球に有限の石油がいつまでもあるつもりで、その上に胡坐をかいて社会を運営して来ているのではないか。アメリカを反面教師として、大慌てで石油が入ってこない社会の構図を描き出さないと間に合わないのではないだろうか。
(08.06.12.篠原泰正)