石油の価格はドンドン上がっていく。供給量が増えないのに需要量は増えているから経済の法則に従って値段は上がる。当り前のことである。産油国は自国の油田の底が見え始めているから、もちろん生産量はこれ以上は増やさない。ポーカーをやっていて、誰も場を降りないので掛け金は上がる一方である。胴元は笑いが止まらない。
石油の価格の上昇は二つの点で歓迎すべきことである。一つは言うまでもなく地球環境にとって、価格の上昇に伴う消費の減少によって、CO2の排出量が減ることが期待されるからである。CO2の排出を劇的に抑えないと地球が壊れてしまうことは既に多くの科学者の指摘しているところである。10年、20年先に数十パーセント排出を削減するなんて生ぬるいことでことが収まるわけがない事は、正常な頭脳を持っていればすぐに分かる話である。悪性の腫瘍に侵されているのに安静にしていれば治るなんて話を信じる類の愚劣である。
現代社会はジコチュウーの塊りのような人たちによって経営されているから、明日の地球・人類のことより、今日の繁栄であり、俺達「庶民」は目先のささやかな豊かさに溺れているから、少しの変化にも動揺して逃げようとする。つまり、CO2抑制は政策で何とかなる話ではない。従って、CO2排出の親玉である石油の消費を抑えるには、価格がメチャ上がって買えなくなるのを待つしかないことになる。
もう一つの歓迎点は、今から石油無しの社会の準備を始めることができることにある。石油の産出はどうせあと20年から30年で終りになるのだから、今から準備しておかねばエライことになる。これもバカでなければわかる話である。ところが、ここでも、今日の栄華を手放したくない経営層とささやかな豊かさを手放したくない庶民が手を携えて変化を否定しているから、政策という面での対策は何も取られない。従って、政治の世界からではなく、経済の法則に基づき、石油が高くて買えない事が、20年後の石油なしの時代の予行演習となることに期待がかかる。これでもって初めて、あれやこれやと対策を試みるしかない状況に追い込まれることになる。
石油が高くなれば経済社会は猛烈なインフレに襲われるとみなされている。高い石油を買い続ければ当然あらゆる物価はそのあおりを食らって値上がりする。ハイパーインフレの危険がある。それを防ぐ手は簡単である。インフレの元になる高い石油を買わなければいいだけの話である。生活のあらゆる局面で、かつて日本人の得意技であった「節約」を復活させればいい。浪費社会にサヨナラを告げるにはいいチャンスである。
もちろん、現行の経済社会は石油を土台にして築かれているから、土台を外すと全部がこけることになる。子供の頃遊んだ将棋の山から交代で一枚づつ駒をそっと抜いていくゲームのように、大きく崩れないあたりから、少しづつ石油という駒を抜いて行くことになろう。ガラっと崩れないように、手に汗握るゲームとなろう。
日本は石油無し社会への適応可能性度が工業化先進諸国の中でももっとも高い一つであるし、石油無しをどうやって実現するかに関する潜在的な知恵をもっとも持っている国だから、ビジネス風に見ればこれは一大チャンス、可能性が大きく開けている明るい未来ということになる。
(08.06.04.篠原泰正)