私は、中学3年から高校1年にかけて、江戸戯作物に凝り、病(やまい)高じて、「東海道中膝栗毛」(いわゆる弥次喜多道中)に倣って(ならって)自分も東海道を旅したくなり、2年生になる前の春休みを利用して、スクーターで神戸まで下った(京都人から見れば上った)事がある。1959年の春である。
その時、名古屋の手前、昔、後の豊臣秀吉が菰(こも)被って矢作川にかかる橋の上で寝ていたところを野盗の頭蜂須賀小六の一団にたたき起こされたあたりで、舗装が途切れていたことを思い出す。国道1号線も全線が完全舗装されていなかったことに驚いたので覚えている。
そのときから半世紀ほどたった今、日本中の道路という道路、農道から林道までがアスファルトやコンクリで舗装されつくされている。それどころか、先日、半蔵門から千鳥が淵の間にある半蔵堀公園に花見に立ち寄ったら、なんと驚くべきことに、土の地面が「舗装」されていた。冬の間なにやら工事していたのは見ていたが、まさか舗装工事をしていたとは。
どう見ても、日本には「舗装マニア」とでも称すべきアキバ系のオタク族がいて、土の地面を見ると衝動的に舗装したくなるらしい。既存の道は既に99.9%舗装しつくしたので、衝動のまま、新しい高速道路やら、歴史上一度も渋滞したことのない、瀬戸内の名所である鞆の浦に「バイパス」道を、などなど、マダマダどんどんと造ったり造ろうと目論んでいる。
この道路政策は、経済学でも政治学でも社会学でも解明できない思想と行動であり、多分、心理学を動員しないと、「なぜ?」が解明できないだろう。真剣に解明すれば、心理学の学位が取れるのではないか。その博士論文のタイトルは「土の地面を見ると衝動的にあるいは本能的にアスファルトで多い尽くしたくなる人間の心理とビヘイビア」というところか。
このマニアックな心理と情熱と有り余る行動力は、道路や上に述べた公園だけでなく、ヒコー場にも向かう。ヒコーキを飛ばす需要があろうがなかろうがまったく関係無しに、日本中にメッタヤタラヒコー場を造ってきた。
石油が年々手に入り難くなってきている。道路を走る自動車も空を飛ぶヒコーキも石油を必要とする。子供でも知っている。石油がメチャクチャ高価になっても、金持ちはびくともしないだろう。しかし、幸か不幸か金持ち人口は極めて少ない。彼らが毎日千キロヒコーキで飛び、500キロ自動車で走りまわっても、その姿はめったにお目にかかれないぐらいの数だろう。
これから5年から10年のうちに、高速道路も飛行場も、カンコカンコと閑古鳥が鳴いているだけの風景になってやしないか。
(08.04.11.篠原泰正)