1996年1月、こうして米国研究所に赴任してみると、日本研究所と同じく健康管理事業部売却の影響を大きく受けている。過去数年間の事業売却で、これまでにすでに電池、農園材料、触媒、ガス分離その他もろもろの研究が終息され、毎年のように多くの人が米国研究所を去っていった。だが、今回の健康管理部売却の影響は米国研究所にとってもこれまでになく大きなものとなっている。
研究所で一番大きな勢力だった人工臓器研究グループが解散され、去年から今年にかけて何十人かが既に研究所を去った。その中には、これまで私が研究所を訪れるたびに世話をやいてくれた人工臓器の権威者であるハイデル博士をはじめとして、私にも顔なじみの何人もの人々が含まれていた。
研究所のほかの組織もいくつかの点で変更されていた。私に直接関係あることから述べると、ルーカスとアダムスの統括する研究グループに出入りがあった。ルーカスが電子・印刷材料グループをみるかわりに、アダムスが容器材料グループを見ることになっている。それに伴って、日本にいる時に聞いていたのとは違って、私はアダムスではなくルーカスにレポートすることになっている。
私にとってはあまりうれしくない変更である。私は実はルーカスがあまり好きでない。日本研究所の部長たちも、彼に好感を持っていなかったし、ロング博士もルーカスを極端に嫌っていた。
実は、2年前までは、電子・印刷材料グループはルーカスの統括下にあったのだが、その当時、電子・印刷材料事業部は米国研究所の研究成果に対して不満を多く持ち、研究テーマのサポートを快くしてくれなかったことがある。プライドの高い彼は、このグループをアダムスに押し付けた。色々な人の話を聞くと、どうも研究テーマがうまくいっている間はそれに熱意と興味を示すのだが、少し上手くいかなくなると、途端にそのテーマと担当者に冷淡になるようだ。世渡りがうまい。
今度の、アダムスとのグループの入れ替えにしても、電子・情報材料事業部が最近になって研究所を強くサポートする姿勢を前面に表わしてきたことから、組織変更の混乱に乗じてアダムスから電子・情報材料グループを取り返した、という見方がもっぱらだ。(クリヤビユ-)