国内の特許明細書の記述を読んでいると、日本の学校教育の欠陥に思いが飛ぶ。
国内特許明細書の重大な欠陥の一つは、一つの発明という主題のお話が論理的につながっていないところにある。例えば、従来技術、すなわちこの発明に関係する先行技術にこのような問題点があるという説明がなされていても、その問題点の解決が本発明につながっていない場合にしばしば出くわす。すなわち、解決策として提示されている本発明が扱っていない問題点が挙げられている場合が多い。このようなケースに出会うと読み手はどう思うだろうか。問題として挙げられているのだから、さぞかし面白いあるいは有効な発明が開示されているのだろうと読み進むと、完全な肩透かしを食らうことになる。”あほんだら、わいをおちょくるのか”、となる。
論理的な展開とは、現状の問題点を探り出し、その中から、自分が解決しようとする、あるいは解決できそうな課題を設定し、その課題の解決を図ることである。問題点がたくさんあることが分かっても、手がつけられる事項は限られているだろうから、今回手をつける問題点が設定した課題となる。したがって、解決するべく設定した問題点以外の事については、なんやか言わないことが原則となる。問題点として挙げるなら、それの解決策を示せ、ということだ。
このような簡単なことも実現できていない文書を読まされると、本当に、日本人の知性は大丈夫なのかいね、と暗い気持ちになる。
なぜこのような簡単な論理展開の基本さえ身についていないのか、元を辿っていくと、日本で実施されてきている学校教育のやり方に行き着く。そこでの教育の基本は、自分の頭で考える力をつけさすことではなく、できあがった結果を暗記させるところにあるのではないか。例えば、歴史教育において、生徒の出来を判定する元は、何年に何が起きたかの事項をどれだけたくさん覚えているかにあるようだ。
しかも、最近の学校教育では、前にも触れたが、わが国の近代の歴史、特に今現在を生きているわれわれに直接関係しているところの、この前の大戦争から今までの歴史がほとんど省略されていると聞く。したがって、生徒は、日本はなぜあのような戦争をしたのか、なぜ戦後急速な復興ができたのか、なぜその結果としてのひずみが現在でているのかなどなど、良かったところ悪かったところなどを考えるチャンスは閉ざされていることになる。
なぜ、どうしてそうなったのか、そうなっているのかを考える訓練が不足していると、結果として、論理的に筋道つけてお話を展開する能力も育っていないことになる。頭の中で論理的に展開する習慣ができあがっていないと、現状の問題点として、解決策の(本発明の)対象としていない問題点を列挙したりすることになる。このような展開上の欠陥は、日本ではどうなのかは脇に置いておいても、少なくとも私の知る欧米社会では、「アホ」とみなされることになる。
このような、論理的展開にガタがある明細書を忠実に英語に翻訳しても、欧米の社会で通用する文書にならないことは、言うまでもない。すなわち英語に翻訳して欧米に出願しても無駄である。それどころか、知性を疑われるだけという、副産物ももたらされる。
論理的展開に欠陥のある明細書を海外に持っていくためには、従って、全面的に書き直し、展開の筋道がつくように仕立て直す作業が必要となる。そうしないと英語に翻訳するだけ無駄という結果となる。
このような欠陥品の数が、まれにしかないようであれば、取り立ててここで話題にする必要もないが、残念ながら、国内特許明細書は、私が見た限りにおいて、欠陥品だらけである。無責任に言えば、ざっとみて半分はアカン。
論理的に展開する頭が無いと、事実を述べている情報の意味を把握できないことにもつながる。つまり、何が問題なのかを摘出できないことになる。解決策と関係のない問題点を説明するという欠陥も、もしかしたら、問題点を把握できていないということから生まれているのかとも考えられる。
もしそうなら、発明を生み出す研究開発(R&D)も、人々により良いサービスや機器を提供する上で、今現在までの従来技術はどこがまだ不足しているのかを考えることなく、ただ闇雲に、競争相手の企業の製品を少しでも上回ることだけに日夜突撃していたり、あるいは、上から与えられたテーマの意味を考えることなく、命令されたテーマだからと必死に取り組んでいるだけなのかとも思われる。もしそうならば、なぜこの発明をしたのか、これまでの技術はどうだったのかを聞かれても答えは用意されていないだろう。したがって発明を出願するという際に、無理やり従来技術の問題点を、別途引っ張り出し、発明とのつながりを考えることなく、体裁を整えることだけになっているとも思われる。そうであれば、発明と関係しない問題点が、特許明細書のなかで、堂々と挙げられているのも不思議ではない。
いずれにせよ、国内で量産されている特許明細書の品質は、もしかしてこれは中国製か?と思わせるほどのレベルにあるものが多い。いや、中国製品もこの10年で急速に品質が向上しているらしいから、とんでもない比較をして、中国の人に礼を欠いてしまった。謝る。
(07.10.17.篠原泰正)