昔、メーカーの中で、商品企画を生業(なりわい)としていた時、ある企画審議会で提案者である私は、出席者の一人、もう誰だったか忘れたが営業の部長さんから問いただされた;”君、この企画は大丈夫だろうね?”。私の答えは、”商品企画は所詮千三つみたいなもので、当たるかどうかはなんとも約束できません。”イヤー、その部長さん怒りましたね;”なんだ君、その言い方は、態度が悪い!!!”。私としては、デジタルに当たる当たらないの確率を答えたつもりだったが、態度が悪いというアナログの反応を頂いたので、これ以上の議論には進まなかった。この企画が審議会を通ったのかどうかはもう覚えていない。
千三つは大げさにしても、市場で当たる商品を企画することは至難の業である。私の経験からいえば、企画審議会を無事通過しても、発売に至るまでの設計開発段階でつまずくものが5件に一つぐらいは出る。なんとか発売までこぎつけて、開発投資を回収できるぐらいの売り上げ(利益)を得られるのは5件に一つぐらい。だからヒット商品となると10に一つも難しい。
日本の製造業は、戦後、知恵と技術を製品に凝集することで、そして世界をマーケットとすることで発展してきた。黙々と高品質低価格の製品に取り組み、成功してきた。しかし、上に述べたように、市場に出ていき稼げる製品はほんの少しであり、「一将功成って万骨枯る」の類で、市場に出る前に、そして市場に出たのはいいがあえなく討ち死にした製品の死骸がいたるところに転がっている。つまり、お金をくわえてもどってくることができなかった製品の数の方が、大金稼いだ優等生製品に比べると圧倒的に多い、ということである。
しかし、討ち死にと成功の差は、その製品に使われている技術とは関連性がない。素晴らしい技術を組み込んでいても売れない製品もあれば、平凡な技術の寄せ集めであっても大当たりする製品もある。
市場で成功した幸運な技術に比べれば、不運にも世に出られなかった技術の方が圧倒的に多いことになる。技術を製品に組み込むことだけで換金してきたので、せっかくの技術が世にでられないまま終わってしまったことも数限りなくあるだろう。もったいない話である。
自社の製品では世の中に生きるチャンスを得られなかった技術であっても、それを分かりやすく記述して文書に定着しておけば、思いもかけないところから買い手が現れる場合もある。
開発投資の回収率アップのためにも、開発した技術を製品組み込みだけで回収しようとするだけでは足りない。技術を仕様書という文書にまとめて、すなわち知的財産化して世界の市場の店頭に並べることで、多様な顧客を得るチャンスがでる。日本の技術はそれだけの力を持っている。
発明技術を明快な文書に仕立ておけば良いだけの話である。せっかくの日本の技術が、製品を通してだけしか世界に出ていかなのではもったいない。エンジニアの一人一人が、自分の発明を雄弁に語れる技能をなんとか身に着けてもらいたいものである。
(07.10.10.篠原泰正)