日本における特許制度の歴史について、私はまったくといっていいほど知識がない。いずれにせよ欧州あるいは米国から、文明社会のシステムの一つとして輸入され定着していったのだろう。
ところが不思議なことに、欧米から輸入したのに、日本の特許システムは独自性が強い。仮に欧米のシステムをグローバルスタンダードとみなすと、日本はそのスタンダードに合わない箇所がある。もっとも、私の視野に入っているのは、国内で特許明細書と呼ばれているPatent Specificationsという文書だけで、特許法などの制度ではない。
私のように欧米での文書編成方法に慣れている者の目には、日本の特許明細書の構成は奇妙に映る。その最たるところは、米国の特許仕様書で「発明の概要 Summary of the Invention」にあたる「課題を解決する手段」にある。国内の多くの特許明細書において、この部分での説明が、「請求項」の複製で済まされていることは驚きである。
特許権を請求した、あるいはその権利を獲得した発明がどのようなものであるのか、(できるだけ)誰にでも分かるように簡潔に明快に説明する場所が、権利請求で記述されている文章と同じであるとうことは、論理の流れからいってありえないし、それどころか、発明を説明する(開示する)意思が無いことの表れとなる。他者に理解していただこうという意思が頭から存在しない表れといえよう。
これは欧米の常識的な感覚からいえば、まことに人をオチョクッタ失礼な所業であり、また自分の発明をまともに説明する頭脳もないのかと馬鹿にされる結果となる。発明の背景と概要と詳細説明から成る狭義の仕様書と権利を主張するクレーム部から成り立つPatent Specificationsにおいて、狭義の仕様説明はクレームをサポートするものでなければならないと、米国では規定されている。
「課題を解決する手段」で請求項の一つ一つを、これはどういうものであるかを説明するというのはどのような神経なのだろうか。しかも、具体的に詳しく説明しているならまだしも、その説明が請求項の文章のコピーそのものであるものも多い。これほど読む人を馬鹿にした話はない。請求項と同じ文章を載せるなら、わざわざこのようなセクションを設ける必要はない。紙の無駄である。
欧米の文書の常識からいえば、主題の背景をのべ、主題の概要を説明し、それを実際に展開するとどうなるか実験結果や展開計画を述べる。特許仕様書では、それらの上で、「ご理解いただいたところで」「私はクレームします」と権利主張を最後に行うのが自然な流れである。
したがって、「課題を解決する手段」のセクションで請求項をコピーしてある文書は、欧米に持っていっても「アホ」といわれるだけとなる。いくら英語に転換しようとしても、文書に対する考えや姿勢が異なっていれば、二つの間に互換性は生まれない。つまり転換不可能である。また、たとえ、請求項コピーの文章をいくら英訳しても、ただでさえ分かり難い請求項文章が通常の英語文章に翻訳できるわけがなく、結果は見るも無残な、一見英語風の意味不明文章が並ぶだけとなる。
このような「変な」特許明細書を作り続けるのなら、海外出願は全部やめたほうが良い。転換できない製品をいくら輸出しようとしても、無駄な努力である。もちろんお金をはらって出願するわけだから、受け取り側も「来る者拒まず」と受け入れてくれるだろうが、内心は嫌な顔をしているに違いない。
札束付けて出しているからまだ海の向こうに渡ることができるが、これが商品であれば、海外で買ってくれるお客は一人も得られないだろう。クレームの説明を仕様書本文で行なうという論理が成り立たないことをする、さらにはそれをクレームをコピーして済ます、なんて人をオチョクッタ製品など買う馬鹿はいない。
(07.10.09.篠原泰正)