英語で「強欲」のことを「greed グリード」という。この20年、米国社会の変遷を理解するには、政府および大企業の行動原理を探るのがもっとも手っ取り早い。その行動原理はたったひと言で言い表すことができる:グリード。なぜあれほどお金を稼ぎたいのか、平凡な一市民に過ぎない私なんぞにはとても理解できるところではないが、ともかく世界のあらゆるところから、あらゆるビジネス分野で、あらゆる方法で、金を稼ぐことにまい進している人々が存在する。
「民営化(privatization)」もその方法の一つである。単純にいえば、これまで政府が経営してきた事業を民間、すなわち私企業に移管することである。この方法の理論的、あるいはより厳密に言えば宗教的裏づけは、最近なくなったミルトン・フリードマン(Milton Friedman)教授、シカゴ(大学)学派(Chicago school)の総帥でノーベル経済学賞の受賞者である泣く子も黙る「偉大なる」教祖によって提供されてきた。
政府は、社会の弱者(失業者、障害者、病人、高齢者などなど)の面倒を見なければならない、それをしなければ社会は劣化し、経済活力も生まれず、国民の豊かな生活は望めないとする考えがあった。1929年の大恐慌の反省を含めてアメリカ社会の活力(主に経済面での)回復に取り組んできた当時のUSA政府の考えがそうであったし、その理論的裏づけはケインズ(John Maynard Keynes)によって与えられてきた。
フリードマン先生が1960年代から目の敵にしてきたのがこのケインズ博士であり、フリードマンの考えを全面的に採用し始めたのは、1980年代のレーガン政権からとなる。シカゴでくすぶっていたフリードマン先生も遂に陽の目を見たわけだ。
いつでも、どこでも、どんな方法ででもお金を稼ぐのに熱心な人たちが、自分達の「グリード」を正当化してくれるフリードマン理論(実際は理論ともいえないものだが)を信奉してきたのももっともである。以来、この20年、政府を頂点としての動きは着々と、あるいは日本の政治家や官僚が好きな副詞でいえば「粛々(しゅくしゅく)と」進められ、今日、それはほぼ完成の域に達している。すなわち、連邦政府自体が「民営化」されてしまったのだ。
税金ほか国債などの公金で運営されてきた事業を民間に移管すれば、公金の消費は減るのか。残念ながらそれは無い。できるだけ楽に儲ける場を広げるために民営化するのだから、その民営化された企業の売上の多くは、この公金に頼ることになる。政府とつるんでいれば楽に稼げるおいしい事業だからこそ民営化されるわけだ。連邦政府は税金やら何やらで集めた膨大な資金を有する胴元のような存在となり、利益率の高い事業に集めたお金をばら撒く。政府自体が次第次第にホールディング・カンパニー(holding company 国内大企業を束ねる親会社))のような存在となり、あるいはとてつもない資金を抱えた地球上最大のファンドとなっていった。
政府の私企業化、これが究極の民営化である。そこでは「戦争」も一つのビジネス分野と扱われる。戦争ビジネスといえば、これまでは、国家の戦争遂行に便乗して事業を拡大する民間企業の活動を意味していたが(端的には軍需産業)、その概念を超えて、今や戦争すること自体をビジネス活動とするところまで来てしまっている。従って、戦争は長引けば長引くほど儲けも続くから、早期解決を図る、なんていうこれまでの世界の政治・外交上の常識では測れない行動となって現れることになる。
「Government of the people,
for the people,
by the people」
が政府の理念であった幸せな時代はあたかもローマ時代の昔のごとく遠く霞んでしまい、ワシントンにあるのはもはや「White House Co., Ltd.」という看板を掲げた世界最大のホールディング・カンパニーと理解した方が良い。そうすれば、USAの行動も見えてくるし、太平洋のかなたから、サーファーが狂喜するといわれている伝説の大波「ビッグ・ウエンズデイ Big Wednesday」の如く、わが国にこの20年押し寄せて来ている「市場原理主義」の意味も見えてくることになる。
(07.09.16.篠原泰正)