昨日の甲子園で、わが阪神タイガースは、中日ドラゴンスとの天王山決戦の初戦を落とした。結果から見れば、藤川投手が中日の主砲であるウッズに打たれ2点を失ったのが敗戦を導いたことになる。
しかし、本日のスポーツ新聞を読むと、藤川はウッズに全部直球の真っ向勝負を挑んだとある。見事である。野球の基本は投手対打者の勝負にあり、やるかやられるかのどちらかしかない。優勝がかかる大事な一線で、逃げることなく勝負を挑んだ藤川は、野球の面白さを復活させてくれた功労者として、表彰に値する存在である。球場で、名前がアナウンスされただけで、観客がどよめく大打者は何人もいたが、藤川は投手でありながら、その受ける歓声は今の打者の誰よりも大きい。千両役者の趣がある。
社会全体が効率ばかり追い求め、あるいは結果ばかりを重視して、何をしても勝てばよい、失敗したものは負け犬だ、というような風潮が世の中を被っている中で、野球というスポーツも勝利絶対優先が当り前のように思われてきた。そのような「当り前」の傾向に、藤川という28歳の青年は敢然として挑戦してきた。
昨日の状況も、2、3塁で1塁が空いていたのだから、これまでの野球の常識なら敬遠策がとられるところだった。それなのに、勇気をもって4番打者に挑戦し、結果として打たれはしたが、多分甲子園に詰め掛けていたタイガースファンも納得して、満足して帰路についたことであろう。少なくとも、本年の名勝負の一番に上げられる現場を目にした満足感でいっぱいであったろう。
挑戦するすばらしさを若者に教えてくれる出来事の少ない現代社会において、藤川投手はそのすばらしさを示してくれた貴重な存在であり、同時に、野球の楽しさを思い出させてくれた存在でもある。私は昔から、野球の「敬遠」という策が嫌いで、これはお金を払って見に来た客を愚弄するものだと思ってきた。ひっしに投げて結果として四球になるのは仕方が無いが、これぞという場面で「敬遠策」がとられると、やりきれない思いがする。
プロ野球では仕方が無いのかも知れないが、少なくとも高校野球では、この「敬遠」を禁止すべきであると以前から考えていた。若者のスポーツでもこのような「セコイ」行動が当り前のように行われている社会では、挑戦する若者が少なくなるのも当然の結果だろう。日本社会から「凛々しい(りりしい)」という形容詞が消えてしまって久しい。そこら中、周りをきょろきょろと見回して、うまく立ち回ることばかりを考えているような人間が増えた。会社でも、社会でも、問題があるのに見ない振りをして、抗議の声さえ挙げない。改善提案をしても自分が損するばかりだからと、頭と心を閉ざしてしまっている。
行動を起こさねば結果は生まれない。結果はうまく行くか行かないかのどちらかしかない。ただひたすらに直球で真っ向勝負に挑めば、結果は打たれるか三振を取るかのどちらかになる。優勝がかかる大事な一戦の九回に勝負を挑んだ藤川青年に乾杯!良くやった!!
(07.09.15.篠原泰正)