戦後の日本の復興が主に製造業の手で成し遂げられたことに異論を挟む人はあまりないはずだ。どう見ても金融業がすごかったわけでもなく、霞ヶ関が賢かったためでもない。
その製造業を支えてきたメーカー、大手から中小までの企業の成功は、トップ(経営陣)が凄腕だったからかちえたものではなく、ひとえに膨大な、そして優秀な中間層によって成し遂げられたといえるだろう。これは、私の22年間の日本のメーカー(1社だけ)での体験から断言できる。
復興の主役であったメーカーが中間層に支えられていたということは、その範疇を国のレベルまで広げると、戦後の日本は、国民の大半を形作ってきた中間層、中流階級とも呼ばれる層によって大きく伸びて来たといえるだろう。まことに、日本は中間層の国であった。
この中間層の厚みが国の発展に力があったのは、欧州では北欧諸国やドイツやオランダのゲルマン系の国であった。米国も第一次大戦後から1970年代半ばまで半世紀に渡って中間層が増えたことが、国力の大きな伸びの源泉であった。
中間層がおおきな集団になるということは、小数の支配層と大多数の被支配層という、二つの世界で形成されている西洋社会では、本来の形ではない。その中において、中間層が増えたのは、ひとえに製造業で働くホワイトカラーおよびブルーカラーの上層の増加による。つまり、モノをつくって販売することで個人も会社も国もその収入が増えていったことになる。
そのように見てくると、モノづくりの衰退は直接的に中間層の衰退、すなわち数の減少をもたらし、工業化先進国と称される諸国において、社会は再び、昔の二つの社会、上と下の格差が日ごとに深まっていくという状態を生んでいる。
この格差の深まり、いってみればせっかくもたらした国全体での繁栄の崩壊は、欧州ではまっ先に英国に現れ、中間層の国であったドイツも怪しくなっている。わずかに小さな北欧諸国が辛うじて戦後成し遂げた姿を保っている。米国では、1970年代半ばから製造業にかげりが見え、80年代の半ばには、もう一度世界の一番になる方針は、国のレベルで断念された。そのときから30年ほどで、米国社会は再び二つの社会に回帰してきて、そのための国内のきしみは年々目立つようになってきている。
先進工業化諸国の中で、日本はモノづくりにおいて最後までがんばってきたのであるが、バブルの嵐以降の精神の荒廃もあって、この10年ほどで、昔を知る人(私を含め)には危機的状況に至っている。このことは、社会現象としては、「格差社会」という言葉で表現されているものと根っこは同じである。
中間層の拡大は、もともと二つの世界を地球と国内の基本経営原理としてきた西洋社会よりも、ムラ社会に基盤を置く日本社会に適したものであった。すなわち、ムラの中の階層は上下にはっきりと区別されている西洋社会と比べると、格段に緩やかで流動的であるために、ムラが豊かになることは、その成果も比較的平等に配分される結果となり、そのことがムラを構成する大部分の人々の「やる気」をますます高め、ものごとはいいようにいいようにと回っていくことになった。会社というムラが集まった国も大きな「ムラ」とみることが出来るので、日本という一村は(比較的)平等な国として、少なくとも経済において世界のトップランナーの位置まで登りつめることができた。(注)比較的と書いたのは、西洋社会と比べると、という意味である。
日本国というムラの中の平等が戦後日本のモノづくりを支えてきたのだから、その平等が崩れ始めると、モノづくりも崩れ始めることになる。しかも、もともと、ほんの一握りの腕の立つ経営陣(上層)と大多数の兵隊という図式が本来の姿である西洋社会とは異なり、ムラの内と外という区別はあっても、村の中では基本的断層がない社会が日本であるから、二つの階層に分かれていくということは、致命的な打撃を与えることになる。例えば、西洋世界における上層の人の経営の腕前(会社でも国家でも)は半端なものではないが、日本では優秀な中間層に担がれておみこしの上に座っていただけだから、西洋の精鋭にはとてもじゃないが歯が立つものではない。中間層が崩れると、圧倒的に不利なのは日本ということになる。
つまり、格差社会は西洋では当たり前の姿だが(それでOKというわけではもちろんないが)、日本社会では極めて異例な状態であり、優秀な中間層が崩れると、社会を経営できる有能なトップは存在しないわけだから、どこまで行っても歯止めは掛からず、急速に崩壊することになるだろう。残念ながら、その事態は既に始まっている。
(07.07.09.篠原泰正)