こどもの頃、火薬で「バンバン」と鳴らすおもちゃのピストルは、ポピュラーな遊び道具で、私と同じようにたいていの友人は一丁か2丁持っていた。陸上競技のスタートの合図に使われるピストルと同じ原理のもので、火薬がつまった紙のシートの1片を敷いて、引き金を引くと撃鉄がばちんとそのシート片の上に落ちて、「ばん」となる仕掛けである。今なら親がとても許可しないであろうおもちゃである。
火薬の発明は中国であると習ったが、利用を大きく広げたのは西洋である。基本的には筒に込めた弾を火薬の爆発で遠くに飛ばす武器として大いに利用された。鉄砲と大砲の出現である。ビザンチン帝国(Byzantine Empire)の首都コンスタンティノープル(Constantinople 現在のIstanbul)を攻撃した(1453年)オスマントルコ軍(Ottoman Empire)の大砲は当時世界最大の大口径であったようだが、弾は円く削った石であったという。城壁にドカンとぶつかりその衝撃で壁を壊していく道具として使われた。
カリブ海を荒らしまわった海賊船の大砲も、鉄の丸い弾が船腹や帆柱にドカンとあたって壊す仕掛けであり、大坂城に籠る秀頼のお袋様(淀君)を怖がらせた徳川軍の大砲も、お城の屋根や壁をぶち壊す道具であった。
この弾が自分で爆発するものに変ったことで、戦争は凄惨な様相を示すことになった。この砲弾の出現は、スエーデンの科学者ノーベル(Alfred Nobel)が発明した(1866年ドイツで;パテントは翌年取得)ダイナマイト(Dynamite)によるところ大である。
1869年(明治2年)上野の戦争において彰義隊を壊滅させたのは、上野の山(忍が丘 しのぶがおか)と谷をはさんで西の向かい側にある(向が丘)、現在の東京大学がある池田邸に据えつけられた、鍋島藩所有のピカピカの新品英国製アームストロング砲である。この砲弾は自分で爆発する爆裂弾であった。ダイナマイト発明からわずかに2年後であるから、その応用の広がりと速度には驚く。主に槍と刀で戦った彰義隊こそあわれである。
軍艦とは水上を移動する大砲と魚雷の運搬船であり、戦闘機とは空飛ぶ鉄砲である。(注:ゼロ戦が搭載していた20ミリ機関砲は、その7ミリ機関銃とはことなり、弾が炸裂する爆裂弾であった。この種の弾を持つのを砲という)。このように、上野の戦争から今日に至るまで、(原子爆弾を例外とすれば)戦争の主役は、陸でも空でも海でも水中でも、この炸裂弾がになってきた。この140年という短い期間に、いったいどれだけの人間がこの炸裂弾に殺されてきただろう。考えるのも恐ろしい。
ともあれ、炸裂弾を発明したことが、そしてそれを急速に応用発展させてきたことが、西洋の覇権の源泉となった。ドカンと爆発する弾の前には、その他の世界はひれ伏すしかなかった。唯ひとりひれ伏さなかったのは日本だけである。この好奇心溢れる民族はあっという間にこの炸裂弾を取り込んで自家薬籠中のものとしてしまった。
ダイナマイトはまた、土木工事や鉱山開発にも大なる力を発揮したから、土木工学(civil engineering)の面でもローマ文明を受け継ぐ西洋世界の優位を決定的に位置付けることとなった。
(07.06.27.篠原泰正)