16世紀の後半、タイム・スリップならぬポジション・スリップをして、ある日突然日本列島が地中海に浮かんでいることに気がついたら、日本人及び周りの諸国はどう反応しただろうか。
戦国時代の後半、安土桃山時代と称される信長・秀吉の時代に、日本が西欧諸国の近隣に居たら、どのようなことになったであろうか。多分、国力ではフランスやスペインと互角の勝負、あるいはそれ以上のものがあったのではないだろうか。
米の生産は豊かで、金山銀山から黄金が湧き、きらびやかな衣装を纏った堺の大商人達は地中海狭しと駆け巡っていただろう。大帆船も当時の造船技術をもってすれば、設計の勉強を始めてから数年のうちには続々と建造するようになっていたろう。
軍事的にも大坂城は西欧一番の大要塞と讃えられる規模を持ち、足軽兵は西欧一勇猛で、保有する鉄砲(種子島)の数は、スペイン国王を真っ青にさせるほどのものだったろう。戦争の駆け引きは、海千山千の戦国武将の指揮の下に、誰にも負けるものではなく、兵站の補給も、朝鮮の役での石田三成が見せたように、見事な計算の下に、兵士、軍馬、食糧、武器、弾薬の輸送に滞りはなかったであろう。つまり、西欧の大帝国の一人として怖れられ敬意を払われる存在であったろう。
さらには、はぐれ者は、倭寇の伝統のままに、海賊となって地中海沿岸からメキシコ湾岸までもを荒らしまわり、イスラムの海賊や英国の海賊以上に恐れられる存在となっていたかも知れぬ。
そして、時代は下がって、17世紀、18世紀と引き続き地中海にいれば、西欧諸帝国と張り合って、地球上の「未開」の土地の奪い合いを繰り返し、近隣諸国と飽きもせず戦争に明け暮れていたのではないだろうか。アフリカでもアジアでも、”ジャパニーズ”との声が聞かれたら、住人は山奥に逃げ込むほどの嫌われ者になっていたかも知れぬ。
戦争は武力でもってする外交(たしか塩野七生さんの言葉)とするなら、近隣との戦争に明け暮れることで、外交にもしたたかになり、裏技寝技も得意の、煮ても焼いても食えぬ存在となっていたのではないか。
このように西欧の諸帝国と並ぶ国力を持っている国であったが、幸か不幸か実際の居場所はヨーロッパ・アジア大陸の東の外れであり、格好ばかりつけたがる内実は臆病な三代目将軍によって鎖国政策を採ってしまった。おかげで、同類の西欧諸帝国が恒例行事のように戦争をし、世界中を植民地としている間、島原の乱以降200年もの間戦争を知らず、島国の中に閉じこもって、平和に暮らすことになった。
西欧の悪いところに染まり、そのお仲間の一人として、世界の「未開地」の人々を苦しめる所業に参加することはなかったが、ある日目を覚ましたら、200年の太平のツケが山ほど溜まっていたことに気がつく。しかも、間が悪いことに、19世紀の初頭から産業革命が始まっていた。それまではエネルギー源としては西欧も日本も似たようなもので、人力、馬力、風力がそのほとんどであったのが、突然、石炭をエネルギーとする蒸気機関が現れてきていた。これさえなければ、太平の眠りを覚まして開国してもそれほど驚くことはなかったのだが、50年ばかり長く余計に眠りすぎていたがために、まさに「びっくり」となってしまったわけだ。
ともあれ、日本が西欧のまねをして、近代工業化国家に変身したことは、それまでの蓄積からみれば驚くことは何も無い。当然やることをやっただけ、ということになる。
西洋世界はこの500年、世界を二つに分けて眺め、そして取り扱ってきた。自分たち西欧諸国(後で米国などが仲間になる)である選民国家と、その選民に奉仕すべき民衆(感覚としては土人)地域の二つに。そして、自国の中も二つの世界(階級)にわけ、自分たち選民とそれに奉仕すべき(時々はおこぼれに預からせる)愚なる民衆の二つに。
この世界観から眺めると、日本という存在はその二つの世界のどちらにも属さない「変」な存在であり、どのように扱っていいのか、日本の幕末以降、常に考えこまされる対象物であった。そのときの都合によって、あるときはお仲間に入れたり(日英同盟や第一次大戦での連合国の一員)、あるときは、自分たちの帝国クラブの一員のような顔をして態度がでかくなると、ここらで一度叩いておくか(太平洋戦争)ということになったりする。
ここ数十年は、何しろ金持ち国で無視でき無いから(自分たちの稼ぎに影響するので)G7やG8との一員としてお仲間に入れているが、やはり高級クラブの会員であるようなないような、変なメンバーであることに変りはない。16世紀の昔から、帝国クラブの悪仲間に日本が加わっていたら、完全に叩き潰されていたか、でかい顔の正規会員になっていたかのどちらかであっただろうが。
日本人も、この近代150年、自分たちは(西欧帝国クラブからいじめられてきた)アジアの一員なのか、それともいじめ側の帝国クラブの会員なのか、アイデンティティーをつかめないまま過ごしてきている。自分たちがネズミなのか鳥なのか分からない、こうもりのような気持ちが続いている。
(07.06.23.篠原泰正)