インテリジェンスの力は情報収集能力と情報分析力、そして状況と分析結果の表現力(報告力)ということになろうか。いずれにせよ、基本的に必要な能力は、時間と空間(場所)の全体図を眺めることができる力といえるだろう。
この全体を眺める能力は、時間においては「今」、場所においては自分の今居る「ここ」を軸として生きており、それを軸として眺めることを文化の基本としている日本人には、身につけることがなかなかに難しいものとなっている。
このことは、何かを作り上げる時に、われわれは部分から作り始めるのが一般的であり、アーキテクチャーと呼ばれる全体の構造設計を苦手とすることにも現れている。例えば、マイクロプロセサのアーキテクチャーは描けないが、その部分である半導体メモリーの改良はお手のもの、というようなところにも現れる。
また、例えば発明の権利を要求する特許仕様書においても、その発明が全体のなかでどこに位置しているのかを明らかにしないまま、突然発明そのものの説明から始める、なんて事にも現れている。
「むら」という共同体(現代では会社など)で生きてきた日本人は、その眼がどうしても内に向いてしまい、なかなか外に向かない。また時間においても、その「むら」のなかで過去にさかのぼって原因追求などしていると、何を遊んでいるのだ、そんな暇があれば田圃の草でも取れ、と上司からお叱りを受けたりすることになる。
このようにみてくると、われわれ日本人がインテリジェンスに弱いのは当然のところで、その能力を高めるためには、意識して努力することが必要となる。鎖国をして、日本列島の内で静かに穏やかに生きていけるのであれば、何もインテリジェンスは必要ないが、厄介なことに、そうは行かなくなったのがこの150年である。したがって、どうしても、世界の中でどこに日本が居るのか、近代という歴史の中で、今どの時点にいるのかを確認し続けることが必要とされている。
全体の中の位置を確認することがインテリジェンスとすれば、それに基づく策、すなわち戦略はその全体の中でいかに勝利するかを考え定めるものとなる。日本では、政府から企業まで、「戦略」という言葉が大好きでそこらじゅうに溢れているが、本当に「戦略」という名に値するものが少ないのは、全体把握の必要性が理解されていないことによるのだろう。
しかし、全体図の把握に弱いのが日本人の特徴であるというと、それは言いすぎであり、何度も書いてきているように、武門の人々が力を握っていた時には、全体把握に怠りはなく、従ってインテリジェンスにも不足はなかった。とはいえ、なぜかこの特質は日本全体に普及することがなく、それが「文化」といえるレベルまで一般化しなかったのも事実である。
敗戦の時から20年ほどは、世界の中の日本を痛いほど意識し、西洋世界、特にアメリカとの比較をしながら懸命にものづくりに励んできた。その時には、それなりのインテリジェンスがあったが、そのあとの20年は調子が良くなったものだから、眼がすぐに内向きになり、「夜郎自大」の悪癖がぶり返し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと舞い上がってしまったのは、ついこの間のことである。敗戦の教訓も結局体質までは変えることがなかったことを示している。
結局、われわれ日本人は、その一般的な特質として、世界の歴史の中での位置づけ、世界という地理の上での位置づけを、客観・冷静に眺めることができないままにきている。卑下することもなく、傲慢になる事もなく、あるがままに眺めるという姿勢は、一般的な日本文化としては根付くことがなかった。せっかく外に打って出ても、なにか事があると、安穏な「むら」の中に逃げ帰り、その中では例え失敗をしても「まことに申し訳ございません」と深々と頭を下げれば、それで幕は引かれることになる。
インテリジェンスの力を強化することは、このように、日本においては、ほとんど絶望的なまでに至難のわざとなっている。
(07.06.13.篠原泰正)