この月曜日、4月30日、米国の最高裁判所(Supreme Court)が、ある意味で歴史的判決(ruling)を下したと、ワシントンポストほか各紙が報じている。私が理解した限りでは、ポイントは二つである。一つは、すでに存在する技術に基づいている(つまりobviousである)のにパテントが与えられているものが多すぎる、という判断であり、もう一つは、これまであまりにもパテント所有者側に立った判決が多すぎたというものである。
この判決は、KSR InternationalとTeleflexの争いに関連して出されたもので、この20年ハチャメチャになっていた米国特許システムとその関連市場を正常に戻そうという最高裁判事の意図が感じられる。私の個人的感想で言えば、米国もようやく正気が戻って来たのかな、というところだ。ともあれ、歓迎したい。
一方、2005年から法案(bill)が提出され、そのたびに利害が異なる各団体からの圧力やら何やらで、ゴチャゴチャになったままの「パテント・リフォーム法 Patent Reform Act」も、先月半ばに改訂された新しい提案が明らかになり、今度ばかりは、下院(House of Representative)も上院(Senate)も通りそうである。今回の最高裁の判決がこの法案の通過に大きく力になるであろうことは十分予想できる。
米国の特許システムがガタガタになった大きな原因の一つは、米国特許庁の杜撰な審査、つまりろくに審査もせずに特許を与えてきたことにあるのは明らかであるが、責めを特許庁だけに求めるのは酷であろう。特許庁の審査が杜撰なことをいいことにして、ろくでもないアイデアを「発明」と称して、あるいは先行技術を精査して新規性(novelty)と自明性(nonobviousness)を自ら判断することなく、特許が与えられれば儲けものとばかりに、粗製濫造「Patent Specifications」を山ほど出願してきた出願人(多くは大手メーカー)側にも大きな罪がある。
このドタバタ騒ぎの一翼には、日本の大手メーカーも参加しており、その責任も大きい。私が目にした、たかだか200件ほどの日本企業の出願および特許を取得した「特許仕様書」から見る限り、すくなくとも8割は、ろくに米国の先行技術調査もしていないばかりか、何が発明なのかまともな文章で記述できていないものであった。これらを眺めていれば、米国特許庁の審査官がまともに審査をする気も無くすだろうと、同情の念が湧く。出願されてきたものは何でも審査するのが「仕事」とはいえ、こんなデタラメな書類を読まされるのではたまったものではなかろう。もし私が米国特許庁の審査官なら、日本からのそれは、その大半を、「読めない、意味不明、先行技術調査不備」として、つき返すだろう。
米国の特許世界が正気に戻り、システムも改善されていくと希望が持てるので、これをいい機会に、日本企業も「これぞ俺の発明」と自信が持てるものだけに絞り、念入りに特許仕様書を作成して(もちろん先行技術もキチンと調査して)米国に出願するようにすべきであろう。礼節の国ジャパンなのだから、その名に恥じないだけの「礼儀」を持ってもらいたいものだ。キチンと厳選すれば、米国に年間6万件出願されている数は、少なくとも3分の1に減るだろう。そうなれば、審査の滞貨に悩む米国特許庁としても感謝するだろう。あるいは、収入が減るので、いい顔をしないかも知れないが。
(07.05.02.篠原泰正)