商品企画屋として現役のとき、何の商品であったかもう忘れてしまったが、ある企画審議会で、一人の事業部長さんから質問を受けたことがある。「君はこの商品をどのようにして思いついたのかね」、というような質問であった。当時は生意気盛りの企画屋であったので、「どのようにと聞かれても、なにしろこちらは24時間ずっと考えてきているので、どのようなプロセスで考え出したかは今更説明できないし、ましてやこの分野の商品を考えたこともない人には、説明しても理解していただけるわけでもない」、という類の返答をした。
イヤー、怒られたね。”何んだ君、その態度は、態度が悪い!!”
今から考えると、おっしゃるとおりで、企画のプロセスを説明しないのは当方の手落ちであった。何ゆえに私はこの商品を企画したかを、縦からも横からも説明しないと、他者の理解を得ることは難しい。しかし、言い訳を言えば、当時私がやっていた商品分野は会社の主力の製品・事業分野とは遠く離れたところにあったので、会社の幹部、部長、事業部長、本部長、重役さんがたの理解を得ることは、まことに至難の業であった。そのため、どうせわかってはくれないだろうと、ふてくされた返答をしたのかも知れぬ。
一つの分野の企画を担当していると、大げさではなく24時間、情報に注意し考えているので(朝から晩まで仕事一本やりと誤解されては困る。この24時間の中には、20%ぐらい酒を飲んでいる時間が含まれる)、「なんでそうなるの」と聞かれてもそのプロセスはもう思いだせないことが多い。
当時は、例え新聞記事の1行でも、重要な動きは察知できる、と私は豪語していたもので、生意気にも、プロの企画屋は「風のそよぎ」で全体の動きがわからなければならないと考えていた。
商品企画屋としての重要な要件の一つに、良好な「感性」があるが、感性は生まれながらにその人に備わっているものではなく、数多くの情報に接し、その取捨選択の繰り返しの中から身についてくる後天的な能力である。したがって、情報が少ない者は感性も鈍い、ということになる。
会社という組織の中には、大別して2種類の人が生息しており、1種は、会社の外の世界に打って出ることにのみ情熱をもっている者で、これは研究開発から営業まで、職種に関係せずに見かけることができる。もうひとつは、目と情熱が会社の内側にのみ注がれている人で、この人たちの社内の関係情報収集能力とその蓄積はすばらしいものがあるが、概して世の中の動きにはうとい。
商品企画屋がもっとも苦手とする人は、この後者のタイプであり、何しろ普段から世間の情報に疎いから、こちらの言うことが何を意味するのかなかなか分ってくれない。同意してくれる場合は、自分より位のエライ人が、「よし、やりたまえ」とゴーサインをだした時だけである。そして、企画屋としては不幸なことに、このタイプの人は当然社内での泳ぎ方に長けているので、出世街道にあり、そのため、「企画審議会」なんて場にも数多く出席してきて、企画のあらをほじくられることになる。
話がそれたが、言いたいことは、新しい事・物を出していくためには、「感性」が大事であり、その感性はひたすら多くの情報に接することによってのみ磨かれる、ということである。たとえば研究開発者であれば、自分の研究テーマが世界の中でどのような位置づけにあるのか、当然承知していなければならないことを意味する。他者が作った研究分野の技術マップなんかをありがたがっているようでは、その研究者はろくでもない存在といえるだろう。
戦争においてもできの良い参謀は、前線に出かけて自分の目で確認して数多くの情報を選別し決定していた。だめな参謀は後方部隊から一歩も動かず、都合のいい情報だけ選んでいた。他人が描いた技術マップ(戦争でいえば敵軍と自軍の配置図)に基づいて研究をするなんてことは、ありえないことだと私は思う。
(07.05.01.篠原泰正)