トルコ帝国海軍のピリ・レイエス提督が持っていた写本地図には、南極大陸が正確に描かれていたという。この話は以前に書いた。彼のほんの少し前の人であるクリストファー・コロンブスは、1492年に「インド」目指して大西洋を西に向かった、と言われている。私は、コロンブスが本当にインドに行くつもりで船出したのかどうか、疑わしいという思いを捨てきれない。
彼は、大西洋を西に向かうと、新しい大陸に行き当たるということを承知していて、大冒険に乗り出したのではなかろうか。当時、地中海を拠点とする船乗りであれば、ピリ・レイエス提督の持つ世界知識は、共有化されていたのではないかという思いを捨てきれない。しかも、マルコ・ポロの大旅行はすでに1世紀前のことであったから、インドのずっと東には中国があることは、当時の船乗り(船長格の上級者)の常識であったはずだ。つまり、西に向けてズンズン進むと、インドに行き着く前に、中国の陸地に行き当たるはずだと承知されていたのではなかろうか。
それならば、なぜコロンブスは「インドに行ってきます」と嘘を述べて、ジブラルタルから西の未知の海へ向かったのだろうか。インドから香料を持ち帰ると約束しないと、スポンサーであるイサベラ女王の援助が得られなかったからではないか。当時も、その後の1世紀の間も、未知なる海に乗り出して金銀財宝を持って帰るビジネスは、出資者(資本家)にとって、極めてリスクの高い投資であった。成功率は多分30%以下と見積もられていたのではなかろうか。つまり、投資したお金が海に沈んでしまう方が余程確率が高かったはずだ。
従って、投資に対する見返りは、多分、運良く持って帰られた財宝の70%は宛てられたであろう。一発あたればでかい、という投資である。
コロンブスのひとつ前の世代の、ポルトガルのエンリケ航海王子(Infante Dom Henrique, Prince Henry the Navigator)が開いた「大航海時代」(この名称は日本の増田教授の命名であり、英語では単にAge of Discovery)は、同時に「資本主義」の幕開けでもあった。大きなお金を持っている投資家(資本家)が、そのお金を冒険家に託して、一発当てるビジネスを始めた時代である。その後、石炭の利用と蒸気機関の発明でもって、「産業革命」が実現されてからは、航海で金銀や香料のような高価な商品を持ち帰る事業よりはずっと堅実な、「製造」事業が中心となった。
リスクが少なくなった代わりに、儲けも一発当てるほどの大山ではなくなったので、利益を生み出すためには、資本家の関心事は、安く安く、もっと安くと向かうことになる。そのための手段は、労働者の低賃金と、安く資源を確保するために、資源生産地の「殖民地化」であった。
この流れは今に至るまで変わることがない。さらに、昔の本能に目覚めたのであろうか、投資に対する見返り率を、数年のうちに30%、40%、さらには50%にも期待するお金の投資事業も近年盛んである。スペインのイサベラ女王も英国のエリザベス女王も期待し得なかったであろうほどの投資見返り率を実現するためには、当然、尋常なビジネス展開ではなしえない。
投資先の鵞鳥が数年で衰弱して死ぬことになることは計算の内(想定内)にして、ともかく短期間のうちに金の卵を産み続けさせる手段が取られることになる。
大航海時代は地球上における最初の「グローバル化」の時代であった。その流れは、産業革命に始まる第2のグローバル化を経て今に引き継がれ、この20年は第3のグローバル化の時代であった。いずれの時代においても、「もっとお金を」、「もっとお金を」と飽くことなく追求する投資家の姿は同じであり、その「元気印し」は収まりそうにもない。
(07.04.28.篠原泰正)