近代工業化社会の発展は、石炭と石油と天然ガスという化石燃料を、じゃかじゃか燃やす事によって成し遂げられてきた。そして、その結果として、地球が暑くなり、気象異変を起こした。この気象異変は、地球とそこに住む生物(人間を含む)が生き続ける上で、極めて危険な諸条件を示し始めている。このことは、多くの人が理解し始めている。
つまり、化石燃料を燃やすことで経済成長が達成されてきたことは、いまや明らかであり、今の勢いでこの化石燃料を燃やし続けると、地球が、極めて近い将来、壊れてしまうことも明らかとなった。
したがって、今までのようなやり方はもう続けられないことも明らかとなった。つまり、経済成長はもう望めない、望んだら地球が壊れる、ということだ。
不思議なことに、社会ではこのような単純な事実関係が認識されておらず、あるいはわざと知らない振りをして、毎年毎年の経済成長率が、まだ話題とされている。昔のままの(昨日までの)やり方が続けられている。経済成長を続けながら「京都議定書」のCO2排出規制値を達成するなんて魔法はありえないことを承知しながら、誰もその事実を指摘せず、口を開けば、京都議定は守らなければならない、経済は成長しつづけねばならないと矛盾したことを言う。
戦後60年、途中で少し停滞することはあっても、ほぼ確実に右肩上がりで成長してきた経済に慣れきっているため、それが停滞すると考えるだけでも寒気がする人が多いのだろう。経済成長という概念が麻薬のように身体に浸み込んで、成長なしの社会ということが考えられなくなっているのだろう。
経済成長とはなんだろう。結局、60年後の今にして振り返れば、なる程物質的な豊かさは手に入れたが、心の生活はやせ細ってしまった。精神が荒れ果てた社会が結果として出てきたことになる。
仮に、頭では、これからの世界は、日本は、もう毎年の経済の成長などは望めない時代なのだ、と理解することができても、成長という麻薬を止めることによる禁断症状が怖いために、仕組みもプロセスも変えることなく、今日は昨日の続き、明日は今日の続き、としてこのまま氷山に向かって「ヨーソロー」と進み続けるのだろう。少なくとも、タイタニックという名の日本船の船橋にいる人々は、レーダーに映る氷山を承知しながら、進路も速度も変えようとはしないだろう。
船橋にいる人々だけでなく、一等から三等までのお客のほとんども、経済成長という麻薬でまともな判断力が失われているので、あるいは嫌なことは考えたくないので、考えることは、せいぜい、今晩の飯は何かということと、上映される映画は何だろうかということと、ビンゴゲームは今晩もあるのだろうか、ぐらいである。
(07.02.20.篠原泰正)