今はどうなったか知らないが、ひと頃、「ドイツ・ロマンス街道10日の旅」なんてパック旅行の案内が目に付いた。相当の人気を得たようだ。
ドイツは今のフランスに接する一部の地域(ライン川の西岸)を除き、ローマ帝国の侵略を逃れた地域であるから、そのゲルマンの地に「ロマンス(Romance)」すなわちローマ風の街道なんぞがいつできたのだろうかと、もしカエサル(Gaius Iulius Caesar)が今に生きていたらびっくりするだろう。彼がガリア(Gallia 今のフランス)の地を征服するのに精一杯で、ゲルマンの地までは手が回らなかったのだから、念願の征服が2100年の後に達成できたかと感慨にふけることになろう。
この名称はもちろん、日本においては「ロマンス=ローマ風の」という意味がいつの間にか艶っぽい意味での形容詞または名詞に変化してしまったことからでてきている。この艶っぽい意味でのロマンスなら、その趣さえあれば世界中のどこの地域にかぶせてもおかしくないことになる。
英語やドイツ語のゲルマン語系は、ローマ時代にはそのラテン語の影響を受けたことはなく、ラテン語を借用し始めるのは中世以降、特にルネサンス以降に、知識人が頭で輸入したものがほとんどである。但しイングランドは、11世紀にフランスにいたノルマン族に征服された時があるので、そのとき大量の俗ラテン語であるフランス語が英語に導入された。
さて、今回の主題は、論理的に表現するための師匠は誰か、ということで、結論から言うと、ローマの前の師匠であるギリシャ語とその生徒のラテン語が欧州の先生のようだ。ドイツ語や英語も理屈っぽいが、それはどうやらローマのずっとあとになって、必死にラテン語を学び取り入れた成果なのではなかろうか。
一方、ラテン語の直系にあたるフランス語、スペイン語、イタリア語はどうかと言うと、論理的であるはずだが、どうも印象としてはそれよりも「愛」を語るのに適した言語に変化していった気配が強い。つまり、われわれが理解する「ローマンス」の方に主軸が流れたのではなかろうか。その意味では、これらの言葉はラテン語系と言うより「ロマンス語」と呼ぶほうが感覚的にはぴったりする。
なお、ラテン語とは、ローマ人が侵入し、支配権を握った今のローマ市を中心とする地方の名称がラテンであり、そこの土着の民族の言語であったことに由来する。つまりローマは自分達の言語(どのようなものかは不明)を捨てて、あっさりと、言語として格段に優れていたラテン語を公用語として採用したらしい。当時のローマ人は偏屈ではなく、開かれた心の持ち主だったのだろう。同時に自分達のラテン語よりもギリシャ語の方が優れているとみなし、教養ある人はみな懸命にギリシャ語を学習したようだ。
そのラテン語が、ローマが押さえた地域ごとに変化したのが今のフランス語、スペイン語(正式にはカスティリャ語)、ポルトガル語、カタロニア語、ルーマニア語などである。従い、これらの言語はローマ風のという意味でロマンス語と称されることにもなる。*ルーマニア(ロマー二ア)という国名は、そのものずばりの「ローマ風の」という意味である。
ラテン語そのものは日常の言語ではなくなり、欧州のエリート層の子弟を悩ませた古典文学と文法の授業とカソリックの公用語としてのみ生きてきたことになる。
論理的に表現するということ、事実をできるだけ正確に描写することから出発し、これらは、このように、欧州において長い長い研鑽と変化の歴史から生み出されたものである。
それに比べると日本語は?
(07.02.13.篠原泰正)