人はなぜ物質的な豊かさにあこがれるのだろうか。近代工業化社会はその物質的豊かさを大衆レベルまで実現してきた。その旗振りはやはりヘンリー・フォード(Henry Ford)であった、と考えて間違いはないだろう。自動車を大量に生産するシステムを開発し、製造原価を下げ、工場で働く従業員の給料を上げ、彼らが、自分達で作った車を自分の給料で買えるようになった。生産者が同時に消費者になる事が、ここではじめて実現したことになる。
物質的豊かさを生み出す仕組みを作り上げたのが自動車会社であり、おもしろいことに、物資的豊かさをもっとも実感できるのも自動車である。自動車こそ石油を基盤にした繁栄、20世紀の工業社会の繁栄の象徴であった。
その豊かな工業化(自動車)文明に向けて、今、二つの巨大国が驀進している。言うまでもなく、中国とインドである。この二つの国の人口を合わせると25億人ほどになる。地球全体の5分の2という途方もない数である。
地球の石油資源をすでに半分つかってしまい、その結果招いてしまった地球規模での気象異変が、人類の明日を左右しかねないこのときになって、巨大集団が突然物資的豊かさへの憧れに目覚めてしまったのだ。その驀進を止めることはできるのだろうか。
”自動車なんか持ってもどうということないですよ。人間の幸せはもっと他のところにありますよ。”と語っても彼らは聴く耳を持たないだろう。”あなたがただけ先にうまいことやってきて、われわれがやろうとするとお説教するのはお門違いだ”と怒るだろう。
結果はどうなるだろうか。どうみても、大気中の二酸化炭素(CO2)は減るどころかぐんぐん増え続けることになる。25億の民がわっせわっせと工場で働き、わっせわっせと自動車を乗り回したら、どういうことになるか。想像するだけでも恐ろしい光景となろう。そこにおいて地球は回復不能地点を越えて壊れてしまうだろう。西ヨーロッパと北アメリカと日本が手を組んで実行してきた地球破壊活動を中国とインドが引き継いでくれるわけだ。
二巨大国の爆走を止めうる唯一の可能性は、石油が年毎に手に入りにくくなるという事実だろう。しかし、その石油不足はますます「石炭」への依存度を高めるから、地球温暖化と大気汚染はもっと進行することになってしまう。
自分達が反省しないで、先輩面して25億の民に説教しても反発を買うだけとなる。これ以上石炭・石油・天然ガスを燃やしすぎると地球が死ぬ、というなら、自分たちでその消費を「劇的」に減らすしかない。自ら必死の思いでダイエットしてはじめて、あんたは太りすぎだもっと痩せろ、と説教を垂れることができる。自分は相変わらずうまいものを食っていながら、あんた食事はもっと質素にしなさい、なんて事を言えるか?
物質的豊かさへの欲望は、この80年ほどの間に先進工業化国の国民に蔓延(まんえん)した悪性の精神的ウイルスのようなものであり、この10年は、中国とインドの国民の多くも感染しはじめたことになる。このウイルスへのワクチンは無い。
(07.02.09.篠原泰正)