中学生のころ、我が家に定期的に「かつぎやさん」と称されるおばさんが訪れてくれていた。房総半島のどこかあたりから、始発電車を、内房線あるいは外房線から総武線を乗り継ぎ、米や新鮮な野菜を満載した重い荷物(多分40キロぐらい)を背負って持ってきてくれた。大変な労働だが、めちゃ陽気なおばさんであることが救いであった。話を聞くとグループで出発し、目的地はそれぞれのお得意さん地域に散らばっていくのだそうだ。まさに産地直送の、消費者側にはありがたいシステムであった。
その後、世代交代と経済大成長の波の中で、このような重労働を受け継ぐ人も居なくなり、それどころか、近所の八百屋さんも魚屋さんも肉屋さんも次第次第に消えていった。それでは人は食料品をどこで買うようになったのか。近所のスーパーマーケットかデパートの地下(デパチカ)の食料品売り場である。
どこで生産された大根なのか、どこで水揚げされたサンマなのか、どこの養豚場の肉なのか、誰も気にもせず、「個性」なき食材に慣れてしまった。国内産なのか外国産なのかも気にしない。食料がなにやら工場生産品のごとき趣になっていった。
これらの変化はすべて、安い石油と天然ガスのおかげであった。肥料も農薬も石油やガスからつくられ、冷凍装置もトラックも石油で動き、船も航空機も石油で動かされている。われわれは安い石油がなければ飯も食えないシステムの中に、いつのまにやら捕虜になってしまっていたのだ。
安い石油の時代が終ってこれらのシステムがうまくまわらなくなり、しかも小麦やらとうもろこしやらマグロやら、海の向こうから入ってくる食料品は世界のなかで取り合いになるから、食い物は住んでいる近場で入手できるようにしていかねばならなくなる。畑や水田から遠く離れているほど、食い物戦争には不利である。東京の都心で生活することはよほどの金持ちでない限り、不可能になっていくだろう。
これからの都市は、農地で周りを取り囲まれたスタイルでしかありえない。人口でいえば一つの都市の規模は10万人ぐらいが適正だろう。なにせ、最優先は食うこと、であるから農地が周りになければどうしようもなくなる。
私が小学生の時、住んでいた東京都杉並区はそこらじゅう田圃と畑であった。今、多分それらは一つも残っていないだろう。これからも昔の姿に戻ることはないだろうけれど、勤め人の家と農家が混在していた昔の杉並区の姿が日本の各地の姿になるだろう。10年後か20年後には。
(07.01.30.篠原泰正)