頭で養い腕につけた知的資産をお金に換える方法はいろいろあるだろうが、もっとも分りやすいのは、何かの制作物にその知的資産を結集させて、その制作物を他者に売る方法である。
制作物の親玉は農作物であり、日本ではなんと言っても「お米」が弥生の昔から王座を守ってきている。それに次ぐのは各種の手工業製品である。織物から陶器、そして家の建築など、この分野では日本はとりわけ多彩な実績を残してきている。余談だが、手工業は英語で言えばマニュファクチャリング(manufacturing)で、これは文字通り、手で(mano)作り出すという意味であるが、近代工業での製造にも引き続きこの言葉は使われている。
制作物に知的資産を結集してお金に換えることは、石炭と石油という化石燃料をエネルギー源にすることで、途方もなく大規模なものとなった。200年前からの近代工業化社会がそれを示している。人間の頭と手と道具と自然素材で物を作ってきた時代からは想像を絶する規模で、これらの豊富なエネルギーを湯水のように使いながら、機械とシステムで製品が作れるようになった。素材も石油や天然ガスから豊富に得られるようになった。まさに知的資産の「一大換金時代」をつくって来たことになる。
さて、その結果として、地球環境はぶっ壊れる寸前まできてしまい、石油も地球上の埋蔵量の半分をもうつかってしまった。残り半分(全部は取り出せないのだが)の石油を今の調子で消費していったら、地球が壊れるのは明らか(生き延びられる人は数少ない)だから、ちびちびとつかわねばならない。あるいは石油の値段が上がって、ちびちびとしか使えなくなる。
話は逸れるが、今朝の新聞に、地方空港への発着便を減らすと航空会社が発表している記事があった。燃料が高くなりすぎて、採算の合わない路線は止めるという、営利会社としては当然の決定である。昨年開港した神戸空港などは、数年のうちに、静けさに満ちた海上野原となるだろう。
現在の工業社会は、農作物作りも含めて、いたるところまで石油が入り込んでいる。何も対策していない現状で、石油が手に入らなくなったら、60年前の帝国海軍と同じで、「死ぬ」しかない。
このことは何を意味するか。知的資産を大規模工業製品に結集して大きなお金に換えてきた時代は終わった、ということだ。一つのステージが終わったのだから、ビデオの捲き戻しはありえない。
これからの社会で、需要という面から、知的資産をお金に換えるにもっともいい分野は、一つは明らかに太陽光とかの自然エネルギーを電気に換える分野の工業製品とシステムであり、もうひとつは、少ないエネルギーで効率よく動力を生み出すエンジン・モーターである。風力とエンジンを組み合わせたハイブリッド船舶なども脚光を浴びるだろう。
それ以外のところでは、日本が得意としてきた自然素材を使っての手工業と農業・水産業がある。しかし、いずれにせよ、知的資産の大換金時代は終わったのだから、巨額のお金を稼ぐことはもうできない。
そして、もうひとつの稼ぎ方がある。知的資産を「文書」に定着させて、その「文書」を売ることがそれである。日本は世界が必要としている知的資産を、多分世界でもっとも多く、持っている国だから、これをうまく「文書化」できれば、芸者さんを揚げてのドンちゃか騒ぎはできないが、居酒屋で気炎をあげるぐらいの収入はあるだろう。
「大根」は輸出できないけれど、「大根の作り方」は輸出できる。さらに、保存食とする「漬物の作成方法」も輸出できる。
(07.01.10.篠原泰正)