今にして思えば、地球に石油という資源が在り過ぎた。これが20年前ぐらいに生産の頂点を迎えていれば、すなわち20年前に埋蔵量の約半分を消費してしまっていれば、この20年は、節約しながら細々と石油を利用してきただろうから、ここまで地球環境を壊すことは起きなかった。人口もここまで増えることもなかった。したがって、緑革命(Green Revolution)で食糧の一大増産にまい進することもなかった。バブルに狂いまくることもなかった。太陽光発電や風力発電に必死に取り組んできただろうから、相当量の電力をこれらの再生可能自然エネルギー(Renewable Energy)で生み出していたことだろう。
石油は地球から人間への贈り物であるが、われわれ近代の人間は途方もなく馬鹿だから、結果がどうなるかまったく考えずに、じゃぶじゃぶ石油を消費してきてしまった。贈り物がたくさんありすぎたのだ。
地球環境の激変をとめることは多分もうできないかも知れないが、なすべきことは、石油の消費を、劇的に、減らすことだ。一国の石油の消費量が世界で三番目の日本が、まっ先かけて消費削減に走る責任があるはずだ。
しかし、現状は、減らすどころか、CO2の排出においても、昨年もまた前年比増という有様だから、まったく何も考えずに、地獄へまっしぐらと突っ走っているわけだ。
これまでは、地球に何が生じているのか、知らない振りもできた。しかし、もうそれはできないだろう。というのも、水資源の涸渇による食糧不足が起こりつつあるから。中国においては、灌漑のために、河の水を取りすぎ、地下の水をくみ上げすぎて、たいへんなことが起こりつつある。米国の中西部においても、地下水源が枯れ始めているという。二つの地域は広大な穀倉地帯である。オーストラリアは旱魃のため、今年の小麦生産高は例年の半分にしかならないようだ。
利用されている地球の真水の70%は農業用とのことで、水がなければ農作物はできないわけだから、地下水の取りすぎと気象異変による旱魃のダブルパンチで、食糧危機が真っ先かけて現れることになる。飯の問題だから、こうなると、いくらなんでも知らない振りはできなくなる。
地球の人口も40億人ぐらいでとまっていればなんとかなったのだろうが、あれよあれよという間に60億を越えてしまった。地球に石油が在り過ぎたのだ。
日本は地下資源には乏しいが、「知恵」という膨大な資産が「地下」に眠っている。この膨大な知恵資産をわかりやすく各種の仕様書やレポートにまとめることは、焦眉の課題である。どんちゃか騒ぎのつけが急速に回ってきている今、国内だけではなく世界にむけて「読んでわかる」文書を量産しなければならない。世界に貢献するためにも、知恵をお金に換えるためにも。道楽でわけのわからない文章をひねくり回しているような余裕はもう、まったくないのだ。
(06.10.27.篠原泰正)