朝日新聞06年8月28日 新戦略を求めて 第3章グローバル化と日本(2)―知恵集めてモノ作り
この特集はグローバルという観点から、日本が直面する課題を要領よくまとめた価値あるもので、技術力、産学連携および知的財産の三つの分野に焦点が当てられている。
その知的財産分野の中に、次の記事がある:
「政府は97年以降プロパテント政策を推進した.......だが、日本の生み出した知的財産を世界の市場で守ろうとする意識はまだ低い。欧米が自国での特許申請だけでなく、他国でも特許申請するグローバル特許比率は40―60%にのぼる。日本は20%にとどまり、グローバルな視点はまだ乏しい。」
日本から外国への出願が国内出願の20%にとどまっているのは、「意識が低い」ためなのだろうか、「グローバルな視点が乏しい」ためなのだろうか。
この記事のように、「意識が低い」という場合には、誰の意識が低いのか、主体を述べなければ「改善」へのつながりがでてこない。「そうかやはりまだ意識が低いのか、フンフン」と納得して終わりである。この記事に啓発されて、政府が啓蒙に乗り出す行動も企業が改善に取り組む動きも期待できない。
「視点が乏しい」も同じように、誰が(主体)そのような視点をあまりもっていない(乏しい)のか特定されていないので、世界の中で日本の競争力が落ちていますよと警鐘を鳴らしているこの記事の価値も半減させてしまっている。「低い」も「乏しい」も感性に基づく判定であり、事実を分析したものではない。感性に基づく判定は、読む人の感性に訴えることしかできない。「わー大変ですね、そうなんですかあー」で終わりとなる。
この主体を特定化しない書き方は、あまり政府や大手企業に波風を立てたくないという大手新聞の宿命なのだろうか。そのことはわからないが、一つの文章として眺めると、この文章を英語に翻訳することは、このままでは、できない。前のブログで示した等級に従えば「C」となる。
外国出願比率が20%(米国は44%、欧州は60%)と低いのは、知財を世界市場で守ろうとする意識が「低い」からではなく、また、グローバルな視点が「乏しい」からではないはずだ。
まず、米国は英語で国内出願しているわけだから、その特許仕様書をそのまま外国出願に提示できるという極めて大きなアドバンテージがある。欧州の場合は自国の市場規模が小さいから自国だけでの出願の価値は小さいだろうし、ECという域内にいれば外国出願といえども域内出願が多いと思われる。
日本の場合は、まず国内出願が40万件と異常に多く、その数から推測すれば、ジャンク出願がきわめて多く交じっていると思われる。外国に出願する価値など端からないものが多いと思われる。したがって、外国出願をする価値のある国内出願を仮に半分の20万件とすれば、外国出願比率は40%となり、何も日本だけ特別に比率が低いわけではないことになる。
20%という数字から推定できるもうひとつの要因は、国内用に作成された特許明細書の多くが極めて難解な文章で書かれた文書であるため、外国出願用に仕立て直すのにとんでもない労力、すなわちコストが必要であるという事実にある。一言でいえば、最初から英語特許仕様書にも転換する用意をして明確・明快に日本語で仕立てておけば、出願比率はたちまち欧米のそれに近くなるだろう。
更にみれば、日本語で何が書いてあるのかわからない特許仕様書を一見英語風に仕立てて出願・特許取得しても、いざと言う時、例えば特許侵害裁判などの時にさっぱり役に立たなかった痛い経験をたくさんもっているため、どうせ役に立たないなら外国に出願しても意味がないと、あきらめていることも海外への出願比率が低い要因に挙げられるかもしれない。この場合は、役に立たなかった原因と結果がごちゃまぜになった反応である。
ともあれ、主体をあいまいにしたままの、「意識が低い」「視点に乏しい」というくくり方からは、次なる改善へのステップは望めないが、20%という結果は何から生まれてきているのかを分析していけば、改善への途が開かれる。
あいまいにぼやかして書くことは、”なにしろ「意識が低く、視点に乏しい」からね。どうしようもないよ。ハハハハ”、で終わってしまう。誰もこの結果を自分の責任と名指しされていないし、自覚もしていないわけだから。
事実を分析せず主体を特定しない文章からは次のステップの改善は出てこないし、また、英語などの外国語に翻訳することもできない。
(06.10.14.篠原泰正)