日本では今、老齢者向けの公的コスト削減施策が大々的に進行中である。しかし、何がどうしてどうなるのか、理解できている老齢者は多分ほとんどいないだろう。当然である。政府から明確、かつわかりやすい説明がなされていないのだから。
英語には「accountability」という言葉がある。国あるいは企業のしかるべき仕事の場についている人、すなわち経営者は、国民、社員、株主といった関係者に物事を明確かつ明快に「説明する責任がある」という社会的規定である。
この外来語は10年ぐらい前から米国から直輸入されて日本でも方々で聞かれるようになったが、これほど、実際は無視されている言葉もめずらしい。つまり、国や企業の経営者は誰も本気でこのアカウンタビリティーをまっとうするつもりはない。
そのひとつの表れを、この老齢者向けのコスト削減施策に見ることができる。国民である老齢者に分ってもらおうと本気で説明する努力はなされていないし、説明しても「あいまい表現」で何がどうなっているのか、分らない文書となっている。言ってみれば、国による「住宅リフォーム詐欺」のようなものである。相手が認知障害がある事をよいことにして、だますことと、本質では変わりがない。
前のブログで書いたが、欧米ではこのようなダマシの場合には、論理的に嘘をつく。日本では誰も何も言わないから、何言っているのかわからないようにあいまいに述べる。あるいは、もしかしたら、施策を遂行している側も何やっているのか自分でも分っていないのではっきり説明ができないのかも知れない。いや、まさか、そのようなことはないだろう。やはり、徹底的なアカウンタビリティーの無視が現れているだけなのだろう。
日本は、日本語という優れた言語をもちながら、肝心のことは「意味不明文書」で説明されるという、不幸な地域である。論理的に嘘をつかれる地域よりはましだという人もいるかも知れぬが。
(06.10.02.篠原泰正)