日本地域における石油後社会(POS; Post Oil Society in Japan)について、真夏の夜の夢として、希望と楽観に満ちたシナリオを、これからの何回かの連載で書きとめておくことにする。あまりの暑さでドタマにウロがきたと思われても結構である。
日本の食糧自給率が、フランスに比べるとやけに低いということは、既に書いた覚えが有る。金があるからいつでも必要分は買えると、お気楽に構えているわけだ。何しろ民族の相当部分のご先祖は南の太平洋の島々からやってきた人たちだから、明日の「お飯(おまんま)」について思い煩う習慣がない。青い海に魚はいくらでもいるし、椰子の実はたわわに成っているし、裏の畑ではタロイモがすぐに育つ。着る物もふんどしひとつあればそれでOKという具合だ。
ところが、いくら札束を握っていても、海の向うで売ってくれなくなるかもしれない。なぜか。お隣の中国が13億の民を食わせるために、世界中から食料品を買い付けるようになるからである。何しろ買い付ける量が桁外れに大きいから、売り手はどうしても中国優先となるだろう。日本には何の恩義もないし、前の戦争でもたらした厄災についてもはっきり謝らない嫌な民族だし、よその国に、金にあかせて売春ツアーなんてこともはやらせるし、ろくな集団とは思われていないから、食い物売ってくださいと頼んでもあまりいい顔はされないだろう。何しろ自国民の犠牲者については靖国だなんだと大騒ぎしているくせに、あの戦争で犠牲になった他国の人々の慰霊碑を東京の真ん中に建てるなんて話は、これっぽっちも出てこない民族だから、いざというときには見放される。
そこで、日本地域全体での自給自足である。
私は農業についてはまったくのド素人で、大学学部生のときに農業経済学なんて講座をとったことぐらいしか勉強の履歴はない。しかも、この講座の授業で使われているテキストが、なんと「戦前」のデータによるものだったから、(先生は戦前から同じ講義をしていたのだろう)、たいていのことには動じない私もさすがにあきれて、授業は1回出ただけで終わってしまった。つまり、専門知識ゼロのままである。
学生の頃、夏、地方を旅行すると、車窓からみる景色は、一面の緑の稲穂が美しく広がっていたものだ。それがバブル頃になると、そこらじゅうで「休耕地」の茶色の荒地が虫食いのように緑のビロードを食い荒らしているようになった。米余り、なのだそうだ。「自由貿易」の旗印の下の「外圧」に負けて、米の輸入自由化を認めた結果である。
昔、プロジェクトの仲間にギャンブル好きの中国人(ギャンブル嫌いな中国人は知らないから余計な形容詞であろう)がいて、彼が週末になるとレノ(Reno: タホ湖畔の町で、街の中をカリフォルニアとネバダの州境が走っており、ネバダ側にいくとカジノが乱立している)に行きましょうと誘うものだから、何度も一泊二日のギャンブルバスツアーにサンフランシスコとレノの間を往復したものだ。途中、カリフォルニアの州都であるサクラメントの辺りは、一面の稲作水田が広がっていた。サンフランシスコ湾の続きの低地帯である。複葉の小型機が白い農薬を撒きながら飛んでいる姿もみた。本当かどうか、ここでは何しろお米の種も飛行機から撒くのだそうだ。有名なカリフォルニア米の本拠地であった。生産コストからみて、これではとても国内産米は太刀打ちできないな、という感想を抱いた覚えが有る。
日本の製品を世界中に売って稼がなければならないから、自由貿易も結構であるが、こと食い物に関しては、命に直接関わることだから、国内農業保護にもっともっと、例えばフランスのようにがんばるべきであった。人口を養うにおいて、面積あたり 米が最も効率がよいと聞いたことがある。つまり、狭い地域で最も多く人が養える穀物なのだそうだ。事実、バブルの前から米余りが言われていたくらいだから、1億2千万の人口を養うに足るだけの米の生産量は、当時あったのだろう。今はどうなっているのか。
エビやウナギが輸入できなくなっても、人は飢え死にすることはないが、米と小麦粉がないとこれはやばい。野菜も無いと困る。不足すると壊血病になるかもしれぬ。
そして、石油後社会の食料であるが、ここでの最大の課題は、遠隔地からの産物を運ぶシステムに頼るのが難しいことにあるだろう。いってみれば、昔のように、つまり私の子供の頃のように、人は地域内でとれた産物に頼ることになる。地域内の自給自足が再び必要となる。
私の父は栃木県の山奥の出だから、子供の頃、新鮮な魚を食べた経験がない。魚といえば、たまに塩漬けのものだけだったそうだ。そのため、大人になって、高級な刺身などが目の前にいくら並んでいても、箸がのびることはなかった。「お父さん、もったいない」というのが、家族の中の笑い話の種のひとつであった。このように、昔は、人々は地域内のものしかほとんど食べていなかったのだ。
このような事態がもう一度来るかもしれない。リスク防止のビジネス感覚でいえば、マサカという場合も想定しておかねばならない。
真夏の夜の夢としては、それぞれの地方自治体が、自分の地域内で自給自足できる体制作りに必死に取り組んでいる姿となるだろう。東京にいても食い物がないから、多くの人は出てきた地方に帰っていくだろう。そのとき落ち着く場所は有るのだろうか。あってほしい。東京でのビジネスで鍛えた知恵を、自分の町村が食っていくために生かしている、なんて姿が真夏の夢である。
(06.8.06.篠原泰正)