7月26日の夜は中学時代の同窓会にでかけた。山口県下関市立明陵中学校、昭和35年卒業生の中で3年2組という限られたメンバ-である(因みに11組まであった)。出席者は女性一人を含めて6名である。そのうち一組が夫婦である。極めて珍しい同窓会ではなかろうかと思う。遥か下関から、ひろ~い東京に流れついて47年、しかも同じクラスであった6人が集まるとは奇跡とも言えよう。
行方不明であった自分を見つけ出してくれたのはパソコンおたくのSさんである。インタ-ネット社会ならではの快挙である。自分は中学校を終えると同時に働きながら山口県立下関工業定時制(夜間)機械科へすすんだ。
自分は小学校、中学校と授業料、教科書、給食代と免除であった。成績が良くての「特待生」待遇ではない。ただ「超貧乏」で「生活保護」を受けていただけのことである。つまり、昼間の学校に行く金が無いのだ。しかし4年間の定時制生活はちっとも苦痛ではなかった。何故なら自分が働いたお金で学べる喜びは大きく、しかもこれまでの差別から開放された自由が嬉しかった。だから4年間のあいだ一日も休まず皆勤したことが自慢である(自画自賛)。どこかの県知事フレ-ズを借りれば「もったいない」ということ。
大学は芝浦工業大学2部機械工学科(夜間で5年制)に進み都合9年間夜学に通うことになる。こんなことで中学校の学友と会う機会は無く行方不明扱いも仕方がないことである。次ぎの同窓会を約束して解散したが、この年齢になると皆が揃う保証は無い。しかし47年も経って中学校時代の学友に会えると本当に幸福者である。贅沢は出来ないが、なんとかその日々を喰っていけることの有り難さと健康に感謝したい。(矢間伸次)