過ぎていったこの一世紀を振り返ると、石油という物質は、つまるところ人類への悪魔からの贈り物だったのか、とも思える。
石油があまりにも有効でかつお手軽に手に入るものだから、われわれはついついその「甘さ」に乗っかってこの百年を過してきた。そして、石油がなければどうにも社会が維持できない仕組みまで出来上がったところで、「わるい、わるい、実は石油は有限であり、君たちはもう半分以上遣ってしまったよ」と宣告されることとなった。そんなこと、今更いわれても、もうあとにはひけない、どうすりゃいいのだ、ということだ。石油中毒に陥ってしまっているから、この症状から逃れ出すリハビリはきついことになる。
きついリハビリをなんとか逃れようとすると、人はイージーな解決策にむかう。この場合原子力発電がそれである。スリーマイル(Three Mile Island)、チェルノブイリ(Chernobyl)の惨劇の記憶が薄らいできたところを見計らって、「やはり原子力しか策は無いですなー」というシナリオとなる。人類としては、去るも地獄、進むも地獄、前面の虎、背面の狼という場に日々追いやられて行く。
なんとか体力を維持したまま、別の生活様式を、貧しいけれど健康な生活様式を、われわれはみつけていくしかない。一言でいえば、乏しくなる石油はケチケチと使い、一方でなんとかクリーンな発電量を増やしていくことだ。地球の自然がもたらしてくれている「太陽と風」をトコトン利用させてもらうことだ。もちろん丸ごと石油に代わる力はないが、がんばればそこそこ食っていくぐらいの電気は得られるのではないか。
人類の知恵の結晶が近代工業化社会を作り上げたと思ってきたが、そうではなかった。悪魔からもらった石油のおかげで調子よくやってきただけだった。たいして頭をはたらかす必要もなかったわけだ。例えば、1980年代、鉄の女サッチャー首相(Prime Minister Margaret Thatcher)の下で、大英帝国は奇跡の復活を成し遂げたと言われたが、結局は北海油田(North Sea Oil)の開発が軌道にのり、安価な石油を豊富に消費できたことが「奇跡」の要因であった。申し訳ないがけっしてサッチャーさんの凄腕のおかげであったわけではない。そのため、北海油田が枯れ始めると、英国の元気もまたなくなってきている。
日本の戦後の奇跡の復興も、アメリカさんのお陰で安い石油を安定して買うことができたことにその最大の要因がある。われわれ日本人が急に頭がよくなったわけではないのだ。
ということで、これからが本当の勝負である。石油さえ手に入れば誰もが少しの知恵で大発展できた幸せな時代は終わってしまった。狭い村の中で、仲間内で楽しく酒を酌み交わしながら、「伝統のしきたり」どおりに日々を過していればよい時代は終わってしまった。これからが本当の知恵の勝負である。一人一人が知恵を分かり易い形でドキュメントにまとめ、交換し、最善の策をもとめて討議していかねばならない。
また母語を異にする人々の間では、知恵を交換するには英語で行うしか手段はないので、多くのひとが英語が扱うことが必要となっている。
地球上で残り半分となった石油を、世界中で、毎日84Mバレルという途方もない量で消費し続けている。もう時間はあまりないのだ。待った無しの状況にわれわれは置かれている。そのようななかで、おなじ言語を母語とする他人様が読んでわからないようなドキュメントを嬉々としてこしらえて、どうだ僕ちゃんスゴイだろうなんて遊んでいる人とお付き合いしている暇は私にはないし、第一線で闘っている人たちにもないはずだ。
(06.7.19.篠原泰正)