昔、40年近い前、欧州に遊学したとき、1米ドルは360円であった。外貨持ち出しも厳しく制限されており、大学の授業日数X10ドルが限度であった。大学の授業は365日の半分もあるかどうかだから、計算するとなんやかや含めて1ヶ月100ドルの支出に抑えないとやばい、という状態だった。
大英帝国に遊びにいったら、1ポンドが約千円ぐらいの換算で、さすが腐っても鯛、凄いものだと感心した記憶がある。ともあれ、日本の「円」なんてのは、吹けば飛ぶよな通貨であった。
その後、変動相場制が導入され(これは通貨を動かして稼ごうとする金銭遊戯(マネーゲーム)愛好家の策略の一つであったが今はそれには触れない)、いつか1ドルが100円台に落ち着くこととなった。それでも海外に出かける時は、日本円を銀行でドルに替えてヒコーキに乗り込む必要があった。いつのことだろう、海外の主要国の銀行で日本円を差し出せば、黙って現地の通貨に替えてくれるようになったのは。この時、つくづくと、ああ日本も大きな国になったのだと感じたものだ。戦後40年ほど営々と働いて、ようやく日本円も世界の通貨のお仲間に入ることが認められたわけだ。
ところで、いまだに、世界のお仲間と交換性のないものもある。特許明細書で書かれている日本語文章などはその最たるもので、これは端から世界で通用させるなんてことは意識されずに書かれている。世界で自分の持つインテレクチュアル・プロパティーを流通させようと思っても、ここでの文章では兌換性がまったく考慮されていないので、英語に換えたり中国語に換えたりすることができない。まったくの「マルドメ」生産物であるわけだ。
「マルドメ」をご存知ない?
15年以上昔、日本の企業に勤めていたとき、内容はもう忘れてしまったが、職掌柄、事業戦略に関して何度も社長と直接話し合ったことがある。あるとき、社長が言うには、
「シノハラくんの提案は実行に移すのは難しいだろうね。何しろウチは”マルドメ”だからね。」
「社長、何ですか、その”マルドメ”というのは?」
「あれ、君知らなかったの、わが社は”まるでドメスティック”、略してマルドメよ。もっとも僕の造語だけれどね。」
日本円は20年前に、二流ではあるが一応国際通貨の仲間にはなった。しかし、国際流通言語としては、日本語はまったく蚊帳の外に置かれたままが続いている。これはもちろんわれわれが世界で流通させようという努力をいっさいしてこなかった結果であり、世界から嫌がらせをうけているからではない。
世界の中で自分の持つ知的資源を「Intellectual Property」として認めてもらおうと考え、そのつもりで事を運んでいるはずなのに、出発点の特許明細書の日本語文章が「マルドメ」では、国際流通言語のナンバーワンである英語や15億の民が使用している中国語に変換することもできない。国内だけで権利が取れていればそれで十分というなら「方言」で記述されていてもまあなんとかなるのかも知れないが、海の向うでは煮ることも焼くこともできない。
このような事を考えていると、しんどいことながら、やはり、国際的に流通している言語と互換が取れる日本語、すなわち「オープン・ジャパニーズ」を構築していく努力を仲間と共に続けていくしかないなと思う。マルドメ・ジャパニーズからオープン・ジャパニーズへということだ。
(06.7.6.篠原泰正)