1968年、初めて訪れたサンフランシスコ(San Francisco)では、街中を市電が走りまわっていた。この市電はケーブルカー(Cable Car)と呼ぶのだそうで、名前からすぐに連想したのは、小学校の夏の林間学校で、箱根強羅温泉から乗ったケーブルカーであった。
当時、フーテンをしていた(身分は学生)身にとって、金は無いが時間だけはいくらでもある者にとって、街を見物するのにはこの乗り物はありがたかった。何しろ、(混んでいる場合)車体の両脇にあるステップにぶら下がっていれば、乗車賃を払わずに乗り降りができた。金に余裕のあるものは払う、無いものは「薩摩の守忠度(ただのり)」ということで、さすがにアメリカは民主主義の国だ、と変なところで感心した覚えがある。
その10年後、今度はビジネスの出張でこの街を訪れたときには、哀れ、観光用の2、3線を残すだけで、市内に網の目のように張り巡らされていた線路は消えうせていた。東京でも、60年代の半ばから次々に都電が消えていく姿を目撃していたので、このサンフランシスコの市電消滅も驚くことは何もなかった。
東京の街中をこれも網の目のように走っていた都電は、私のように右足が不自由な者には、駅の階段を上り下りしなくて済む分、ありがたい存在であった。それだけではなく、子供にとっては、(たしか)5円さえあれば遠く遠く終点まで乗せていってもらえるから、街の探検にも格好の手段であった。住んでいた家の前の外堀通りには3番線が走っており、この線は隣の飯田橋から品川まで延びていた。市谷、四谷、赤坂、虎ノ門、飯倉を経て品川に至る長い長い旅はまさに社会科の授業のようでもあった。
サンフランシスコ以外の都市では、サンノゼ(San Jose)で1本走っている以外は市電を見かけたことがなかったので、自動車の国だから元々市電はなかったのだろうと、つい最近まで思い込んでいた。ところが、最近読んだ本で知ったのだが、アメリカでも、昔は、多くの都市で市電や市バス路線が発達していたのだそうだ。
その本によれば、これらを廃止していった立役者は、デトロイトのビッグスリーとのことだ。その手口がいかにもアメリカ流にワイルドである。これらの路面電車やバスが民間会社によって運営されている場合は、その会社を買収してしまう。市が運営している場合は市議会に働きかけて、先ず民営化を決議させ、その「民営」を請け負う。しかる後に、赤字経営を理由にバスも電車も廃止してしまう。市民に残された足は、マイカーだけとなる。ますます自動車が売れる。
自動車会社の利益のために、アメリカは都市の公共交通機関を手放してしまったわけだ。従って、ガソリンがなければ市民社会機能がまったく麻痺してしまうという、アメリカ得意の危機管理システムから見れば、とんでもなく危機対応力に欠けたシステムとなってしまっていることになる。アメリカは自動車で栄えて、自動車で没落していくことになろう。
東京も都電の復活を是非にと願う。道路に線路を敷いて、電線を張ればいいだけだから、地下鉄を建設する100分の1のコストで復活させられるだろう。そうすれば、電気の供給さえ何とかすれば、東京は世界最強の交通システムを持つことになるだろう。
(06.6.3.篠原泰正)