日本はこれまで3回、国難といえる修羅場を経験してきた。
1回目は13世紀の蒙古襲来である。このときは神風(台風)が吹いて助かったと通常は言われているが、鎌倉武士の奮戦があったればこその撃退であった。たとえ神風が吹かず蒙古軍(実態は高麗兵と中国兵)が上陸してきたとしても、武士とその郎党、そして農民の抵抗が続いて、占領地の拡大どころか結局は撤退していったであろう。
2回目は幕末である.欧州諸国の植民地にされかねない危難を防いだのは、諸藩の下級武士層と村の庄屋層という戦闘的知識集団のがんばりであった。江戸幕藩体制の中間層を形成していた人々がエリートとしての知識と責任感と勇気でもってことにあたったわけだ。
3回目は先の敗戦である。文字通りすっからかんになった焼け跡から、産業界の新興エリートと地場産業の大将ががんばり、奇跡の復興を成し遂げた。連合軍の命令で財閥は解体され、それまでのトップ層は追放されるか隠退を強制されたので、大手企業でも若手が主体でがんばった。
4回目の国難は今始まろうとしている。もっとも今回は日本だけでなく世界中が同じように直面する「難」だから、世界難とでも称した方がいいのかも知れぬ。この難事を招いた原因はただひとつに集約できる。石油を消費しすぎたのだ。その結果、地球の温暖化が生じ地球環境が大きく変わりつつあり、そして石油そのものも無くなりつつある。かつて北アメリカ大陸で暮らしていた人々が、自分たちが必要とするだけバッファローを狩していたのに、その後乗り込んできた人々が「儲け」のために狩り尽くし、絶滅寸前にしてしまった。近代工業社会に暮らすわれわれは、この「強欲」を受け継いできて、今この難事を迎えている。私自身も、考えなしにその饗宴に参加し楽しんできた。
今回の国難がこれまでと異なる点は、かつての国難時に先頭に立った鎌倉武士も、下級武士も、企業の若手社員も地場産業の大将も出てきていないところにある。自分たちが今享受している特権とお金を最後の日まで楽しもうとしている少数集団の存在は、当然そういう人々が居るということから見れば何も不思議ではない。不思議なのは、饗宴のおこぼれにもあずかれない人々が、呆けたように何も考えず、その日暮らしをしている現象である。怒れる若者達が「絶滅」してからもうずいぶん月日が経つ。また、リストラというペストが猛威をふるってきたために、口を開くことを止めて来た社員ばかりが増えてしまっている。
テレビというメディアはここまで堕ちるかというほどに知性を無くしている。新聞もジャーナリズムの精神を失って久しい。呆けた大衆ばかりだから、自分たちに残された時間を承知している金と特権の享楽派にとっては、これほど御しやすい社会もない。まさにやりたい放題となっている。
まあ、嘆いていても事は良くならない。国難に対して一歩一歩向かっていくしかない。
(06.4.13.篠原泰正)