文書は、シンプルに分かりやすく正直に書こうよ、と叫び続けてきている。そうでないと国際世界では身を守れないし、また果たすべき使命も果たせないよ、といい続けている。
この声は、多分、関東、東北出身の社員が主流をなす企業では、受け入れられる可能性がありそうだ。反対に、関西出身の社員が主流の会社では、”ナニ、アホヌカシテ”、と一蹴されるかもしれない。
何回か縄文と弥生の話を書いていて、気がついたのだが、自分では当たり前と思っている美意識、あるいは倫理観とは別の文化に生きている人々がこの日本にも大勢(おおぜい)いるということ。自分の美意識、それを根底においた作戦展開が、とうてい理解されえないクニがある。
前に、五階建ての日本という話を書いたが、修正すべき点がある。縄文の上に弥生式を重ねたのは、ワレワレ縄文人だけであり、弥生人にとっては弥生式が1階で縄文式は初めから存在していない。縄文時代、人口は大きく関東・東北に偏っており、関西以南は人影もまばらであったようだ。いわばこの空き地に、水田稲作技術を携えて、中国および朝鮮から大挙してやってきたのが弥生人となる。その数は百万という単位で数えられるそうだから、それまで関西九州地区で細々と暮らしていた人々を、あっという間に蹴散らして、主導権を取っただろう。そして、暮らしやすい土地が有る、自分たちが占領したというニューズは間をおかずに彼らの出身地に伝わっただろう。続々と後陣が乗り込んできた(渡来した)のは間違いない。
縄文人と弥生人は民族が違う、といって差し支えないのではないか。先に、私は関東と関西の混血であるということを書いたが、70年前には、この組み合わせは極めて珍しい例で、父母はほとんど外国人同士の結婚といってもいいだろう。それから半世紀後の、昭和40年代のある統計によれば、関西と関東の組み合わせの夫婦は10組に1組もいない。ビジネスに観光に、関東と関西の人の行き来は圧倒的に増えたが、「国際結婚」は一向に進んでいないことになる。
厳しい社会で生き延び、そこから逃れてきた弥生人が権謀術策に優れており、単純な縄文人(蝦夷人)をとことん騙して追い詰めていったのは、当然の成り行きであったろう。この弥生日本人も、二千年以上生きやすい島で暮らしていたため、平和ボケとなり、ご先祖の権謀術策の多くは忘れてしまったように見えるが、一筋縄ではいかないその複雑性はまだ維持している。単純な関東の人間が京大阪にのこのこ出かけていけば、尻の毛まで抜かれたり、真綿で絞め殺されるような眼にあうのが落ちである。
彼らはこういうのではないか。”シノハラさん、文書は明快に書け、特許仕様書は論理的に明確に書こう、なんて、アンさん、単細胞やなー.文書なんてのは、どっちともとれるように、ごにょごにょと書くのがコツでっせ。ホンマ、東夷(あらえびす)のお人は単純やさかい、かないまへん”。
しかし、私は言いたい。弥生式の術策なんてのは、4千年の興亡の歴史を持つ、弥生日本人の本家である中国人のそれに敵う(かなう)わけがなく、狭い地域に多くの民族が寄り合いせめぎ合いしてきた欧州人に敵うわけがなく、相手を蹴倒すことで自分の存在を主張する社会で育ったアメリカ人に敵うわけがない、と。
日本人が世界の中で生きていくには、小手先の細工はやめて、縄文式に、単純明快に、勇気をもってことにあたることが必要である。私は本当にそう思っている。生き延び、同時に世界の中でこれからの困難な時代を切り開いていくパスファインダー(Path-finder)の役割を担っていくには、「名こそ惜しけれ」の旗の下に、愚直に突き進んでいくしかないのだ。
(06.4.6. 篠原泰正)