特許を取得したいという欲望と、発明の内容はできるだけ隠しておきたいという願いは両立しない。このことはすでに書いた。
発明を隠しておきたければ、特許出願をしなければいいだけの話であり、ことは極めて単純である。特許を取りたければ、日本の特許法でも米国の特許法でも同じように定められているように、発明は分かりやすく開示されなければならない。
二つの相反することを両立させようとすることは、ビジネスの世界で生きてきた者としては、信じがたい行為である。世の中そんなにうまい話は無い。このような単純にして明らかな事実に対して、発明の内容がなるべく分からないようにあいまいに記述する、ということが行われているのなら、なぜそのようなバカバカしいことが長年なされているのかを考えざるを得ない。
この二つの相反することを成立させようとする努力は、社会的に極めて未熟な頭から生み出されたものではないか。ビジネスの世界で生きていない人々の行動ではないか。理屈を超えて欲しいものをなんとしても取るという態度は、社会心理学的にいえば、極めて幼児性の高い行為といえるかもしれない。
もし、分かりにくく書くことを自分の優れた技能だと考えている人がいるなら、それは止めてもらいたい。社会的に害を撒き散らしていることになるから。
なぜかと、考え始めたのだが、どうも明快な分析ができない。信じられないような行動をとる人々を分析することは、なかなか骨が折れる作業である。
(06.3.18.篠原泰正)