知的財産(Intellectual Property)というものは、商標は別にして、言語で記述してそれを一つの文書に定着させることによって、その形をとる。今更いうまでもなく、ビジネスマンであれば誰でも知っていることである。
一方、言語でもって分かりやすく、かつ正確に記述して、論理的な文書を作り出すことを、日本人が苦手としていることは、歴史や現状を調べるまでもなく、明らかな事実である。
従って、知的財産を尊重するということは、苦手な言語・文書化と取り組まねばならないことを意味する。苦手であるということは、戦いにおいては端(はな)から不利であることを意味している。勝てる見込みが極めて薄い戦場といえる。
従って、海の向こうで「知的財産を尊重しよう」という大きな声が聞こえてきたとき、そうだそうだとニコニコして賛同するものではなかったはずだ。製品を輸出して飯を食っている手前、パテントなんかどうでもいいです、とは言えなかったことは理解できる。しかし、苦手のことに嬉々として賛同したのは、どう見ても思慮が足りない与太郎風の対応であった。「お説ごもっとも」と言いながら、大げさな話にならないように、そこそこ対応をはかるべきではなかったか。
算数・数学が苦手なのに、東大理科1類を目指して受験勉強に励むのは、その志しは壮たるものとしてほめるべきかもしれないが、戦いという面から評価すれば、可愛そうにいくらがんばっても望みは実現しないあわれな姿となる。
いや、実際のところは、言語と文書に弱いという自己認識もないから、知的財産でも世界と戦えると思っているだけなのだろう。算数が弱いと認識していないから大学に受かるかも知れないと思い込んで居るようなものだ.
弱いと認識していないから、改善努力はまったくしてこなかった。国も企業も。
知的財産、とりわけ特許の戦いは、言語で記述した文書を振りかざしての馬上試合である。とくに相手が侵害訴訟を商売にしているような、海千山千のインテリヤクザであれば、すなわち口だけで世の中渡っているような存在が、言語で書かれた仕様書を武器にして向かってくるのだから、とてもじゃないが、上品なわれわれが対応できる相手ではない。
当方が振りかざした仕様書が、何が書いて有るのか意味不明のものであったら、乗馬がすれ違った瞬間にやられてしまうだろう。
古い言葉でこの有様を「鎧袖一触 がいしゅういっしょく」という。
(06.3.3.篠原泰正)