「転換・革命期」への変革期時代(3)
いま人類は、アメリカにとって大変都合の良いインターネットという道具を手に入れた。ドライコミュニケーション技術の飛躍的な進歩によって、個人や組織間での情報の交換が容易かつ安価に行えるようになった。
また、通信網で結ばれた無数のコンピューターに蓄えられた情報に、どこからでも誰でもアクセスすることができる。広くて雑多である情報を共有し難い筈であったアメリカが、そのデメリットを技術で「あっと」いう間に克服してしまった。ということは相対的には、これまで日本だけが持っていたメリットがメリットではなくなりつつある、ということである。
なぜ米国で、「ネットワーク・コンピュティングシステム技術」が発達したのか。アメリカは多民族の集まりで、しかも国土がとてつもなく広い。だからウエットコミュニケーションが取りにくい。しかも欲しいものがすぐに手に入るほど便利さはない。だからドライコミュニケーションツールのインターネットが発達した。小さな国には大きな国ほど多様なニーズはない。大きな国には必要でも、小さな国には必要がなかったのだ。
日本の過去の発展は突き詰めれば、孤立した国土とその狭さ及び、均一な人種、つまりはウイットコミュニケーションがもたらしたものである。即ち密度と深さが日本の創造力の源でもあった。小さな国にあるニーズ、つまり小さな国で必要なものは大きな国にも受け入れられるという巡りあわせにも遭遇していた。つまり日本が得意としてきた小型、緻密、多機能、高品質、という日本製品が世界から受け入れられた時代であった。それに加えてもう一つ、日本語をあげたい。日本語は日本人にしか理解できない。日本語によるコミュニケーションは、日本人の間だけの特権である。日本語は日本を、知識・情報を発信することのないブラックホールとなしていた。
日本はこのメリットを失い、デメリットを背負う状態にあった。逆にアメリカは、そのデメリットを克服し、大きなメリットを享受しつつある。この差はあまりにも大きすぎる。過去の日本は情報の共有ということでは、あらゆる点で恵まれていたので多くの日本人は、米国で起きている事態の重大性を認識することができなかったのだ。
アメリカの広い国土をうらやましがっても、これは無理な相談である。だから、それに起因したドライビングフォースは、日本では期待できない。これまで米国が築き挙げてきた「ネットワーク・コンピュティングシステム技術(プラットフオーム)」の中で、日本の国土の狭さに起因するニーズを追求するしかない。つまり、それが日本の創造力だ。日本は、ドライコミュニケーションとウイットコミュニケーションのメリットを融合させた日本特有のビジネス方法をうみだすしか生きる道は無い。(発明くん 2019/10/04)