「転換・革命期」への変革期時代(2)
プロパテント政策によって米国のIT産業などが元気を取り戻したが、一方では「パテントホールディング・カンパニー」という、特許を持っているだけで事業活動は何もしない会社からの訴訟が急激に増えた。この種の会社は、なにしろ特許が「飯の種」であるから、保有している特許権理書を念入りに仕立て、手当たり次第に「イチャモン」をつけるわけだ。「イチャモン」を付けられた企業の訴訟対策費用は「バカ高」になり会社経営を苦しめることになった。もちろん、新規参入の入り口は狭く閉ざされることになる。近年の知財に絡む訴訟合戦の多さと、そこで飛び交う賠償金の大きさは「訴訟産業」と言うビジネス分野が存在している如くである。
国の戦略や政策転換を先頭にして、人々のマインドを変えて行った流れは「知的財産」で稼ぐというものであった。汗水たらして「物づくり」に邁進して日々の糧を得ると言うことはやめて、スマートに銭を稼ごうと言うことである。すなわち「マネー資本主義」への国家を挙げての戦略転換であった。今後の知財係争は、グローバル化され解決が益々難しくなる。その数も訴訟費用も格段と増えることは間違いない。
この時代(変革期)で特筆すべきことは3つある。それは、①技術のデジタル化 ②米国のプロパテント政策への転換、そして、③中国を初めとする発展途上国への技術移転と生産工場の移転である。その目的は、生産コストの削減と新市場の開拓である。
日本は欧米からの技術導入(基本技術)に始まり「大量生産技術開発時代」の競争へ突入した。このエネルギーが、日本の高度経済成長期を支えてきた。但し欧米に「追いつき追い越す」には、それ相当の年数と投資を積み上げてきた。ご承知のように日本企業は、小型、高機能、高品質の製品開発を目指した。それら製品に組み込まれるパーツ(技術)には、デジタル化が必要であった。つまりこの時代はデジタル技術開発の黎明期でもあった。日本企業の努力の結果、新興企業は短期間でキャッチアップすることができた。新興企業は研究開発へ投資すべき巨大な資金を生産設備へ向けることができ、しかも生産コスト(人件費も)が安く押さえられ、それらのメリットを最大限に活かすことができた。
製品(物)づくりの技術(ノウハウ)を手にした新興企業は、国内市場だけでなく海外市場にも目を向けるようになった。そのためには、まずは高品質で使い勝手の良い製品を作ること、次は良質のサービスシステム(保守も含む)を提供すること、そして独自の自社製品を開発して「自社ブランド」を高めることである。つまり、新たな市場要求(コンセプト)を取り入れた製品の開発である。そのためには、世界市場から様々な情報を収集して、それらの情報を分析する「調査研究」の能力が問われ、その「質」の競争時代となっている。
因みに世界市場で求められる製品、あるいはサービスシステムは、夫々の国が抱えている特有の事情や文化に反映され、非常に複雑、多様である。日本は、同質化されていた価値観から生まれた製品をそのまま押し付けてきたが、長くは続かなかった。(発明くん 2019/10/02)